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四世紀末。テオドシウス帝がローマを東西に分離した後、西はまもなく滅び、ローマ本土から切り離された東も、名前こそローマ帝国を名乗りながら、ギリシア的な文化とキリスト教の圧力により、徐々に合理性と技術を重んじる古代ローマとは全く別物の国となっていった。▼暗黒時代の到来。ローマの輝かしい土木・建築技術は悪魔の所業として排斥され、ヨーロッパはふたたび神秘主義の蔓延る光なき時代へと突入する。人類にとって幸いだったのは、失われゆく技術の文献を、ビザンチンの修道院がしっかり伝承しつづけていたことだった。だからこそ1543年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落したとき、脱出した伝道師たちが古典復興の意気盛んであったイタリアへ技術を伝え、ローマの栄光は千年の時を経て蘇ったのである。▼今は存在の疑われる暗黒時代とルネサンスに関する歴史理解の、定説としての要約。イスラム世界に触れていないのは片手落ちか。
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