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「これだけ暗記!君も簡単に小説が書ける五百の単語」とか「泣かせるクライマックスで使いたい、ちょっとオシャレな掛け合い集」とか、そういう馬鹿げた本は見たことがないし、あってもすぐに馬鹿げているとわかる。けれども、たとえば小説を音楽に、単語を和音に、掛け合いをコード進行に変えると、あら不思議。そういう本は山ほど見たことがある。なぜだろう。▼作曲家の方が物書きに比べて楽観的で作業的だ、などというつもりはない。心ある人ならどちらだって、単語や和音のような部品をかき集めただけで作品が仕上がらないことくらい重々承知しているはずだ。では改めて、なぜか。実は、現段階では問題提起にとどまる。音符と言語の記号性の違いや、アナログ情報の解像度の差、あるいは再利用性に関する文化的な側面など、いろいろ考えてみたが、明確に言い切るのは難しいと判断した。今日のところは本当に不思議に思っただけである。解決次第、別に書く。
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