400
Post/Edit Page
昨日の話のつづき。日本人が「ひとつ残し」してしまう理由は諸説あると書いたが、なかでも「毒饅頭仮説」はとりわけ面白かった。▼物騒な名前だが筋書きはこうだ。皿にたくさん饅頭が盛られている。たくさん盛られているのだから、これは自分で自由に選んで食べることのできる饅頭である。しかし、饅頭の数が三つ二つと減り、とうとう最後の一つになったとき、事態は急変する。最後のひとつは、それを取るしかない饅頭である。私が自由に選ぶことのできる饅頭ではない。無意識はこう考える――もしや掴まされたのではないか。これは毒なのではないか。▼真偽はともかく、二つ以上の饅頭が「選べる饅頭」であるのに対し、最後のひとつは「選べない饅頭」であって、両者は明確に異なる対象だという主張は面白い。もしこの仮説が正しいとしたら、「ひとつ残し」は日本人の気質ではなく、世界人類共通の本能的行動ということになるだろう。最後のひとつは怖いのだ。
pass:
Draft