Shiraha.Zip

三時のおやつコンサート

 晴れ渡った空から突然バイオリン独奏ソロが降ってきたかと思うと、日当たりの砂利道に人が降り立って、博麗神社にお客が訪れた。こんもりと盛られたお饅頭に手をかけたまま、唐突な来客に目をぱちくりしている縁側の巫女に、ルナサ・プリズムリバーは丁寧に頭を下げる。
「やあ、こんにちは」とさっぱりした挨拶は相変わらず。そうしてバイオリンを抱え直してはたいして表情を変えずにいる。霊夢はやってきた人物の意外さにちょっと驚いた様子で、
「いらっしゃい」と膝を直した。
「珍しいわね、妹さんたちは?」
「コンサート」
「……あなたは?」
「今日のは、弦のパートがないの」
「納得」
 ルナサは吹きさらしの参道を離れて縁側へ寄ると、おやつのうつわを間に霊夢の隣に腰掛けた。「何か用事?」という霊夢の問いには「散歩がてら」という短い返事だった。お饅頭をすすめると、うん、と小さく返事をして手はつけず、座ったなりぼんやりとしている。その曖昧な視線の先を追ってみても、まだ冬らしく茶色勝ちな杉林が見慣れた様子でつづくばかり、猫一匹通るわけでもない、鳥一羽飛んでいるわけでもない。なんとなく機を逸して言葉をかけるのもためらわれ、そのまましばらく二人して同じほうを見ていた。はたから見るとちょっと不思議な光景だった。
 霊夢はときどきルナサの横顔を窺った。そうして、いつに変わらずつかみどころがないな、と思った。
 雲の上で出会って以来、顔を合わせた回数は、言葉を交わした回数に比べれば遥かに多い。人気者のプリズムリバー三姉妹は、この界隈で催される宴会にはほとんど欠かさず呼ばれていた。なので霊夢が宴会へ足を運べば必然、彼女たちとも顔を合わせることになる。けれども演奏者である彼女たちに話しかけることはできず、自然会話を交わす機会は少なかった。
 霊夢にとってルナサは幻想郷の知り合いという以上に、まずバイオリニストという印象がどうしても強い。小さくてもぐっと質量感のある上品なバイオリンを肩に乗せ、背筋はいつもまっすぐに、凛とした風采の立ち姿。想像のなかのルナサは、いつも静かな顔でバイオリンを弾いている。
 はじめて独奏ソロの演奏を聴いたとき、霊夢はルナサの奏でるバイオリンの響きが、その外観の印象からなんとなく想像していた、孤独な人の好むような思いつめた音ではなく、朗々として八月の微風のようにやさしく涼しい音であることに驚いた。そうしてその音が、霊夢はなんとなく気に入った。ふだんあまり見知らない彼女の隠れた性質をふと垣間見た気がした。それは音楽にさほどの関心もない霊夢が、はじめて興味を持った音色だったかもしれない。
 音色への興味はしだいに弾く人への興味にも変わっていった。宴会のさなか、演目が終わり自由な時間になると、霊夢はときどきルナサの姿を探してみた。そうしてようやく時々は話す機会を得るようになった。
 言葉を交わすと、そのたびに新しい発見があった。
 細っそりして色が白いのは遠巻きに見た通りながら、近くで見ればそれは不健康のしるしとしての細さでも白さでもなく、単にすっきりと整った容貌をしているというだけだった。表舞台に立つ人間に相応しく、見た目にもよく手入れが行きとどいている。手首から先のつくりは何かの芸術品を見るようで、その滑らかで繊細なことには思わず息を飲んだ。
 喧騒の中心からすっと居なくなるのが上手かった。それも騒ぎが厭になって離れる自分とは違って、にぎやかな場の中心にはいないものが自分だと決め込んでいるところがあった。その素振りも澄ましたふうではなく、厭味なわざとらしさがちっともなかった。それはいかにも感じのよい大人しさだった。
 元気溌剌としたところがない代わりに、周りを落ち込ませるような陰鬱な素振りは決してしない。明るく賑やかでも、それが高じて時々ぞんざいな言動が目についてしまう次女や、人慣れたようでも事に触れてはどこか怜悧ではしっこいところのある三女に比べると、捉えどころはなくとも穏やかな長女が霊夢はいちばん好きだった。彼女の音に惹かれたことも不自然ではないと、いつか自分で納得もした。
 ざ、と風が寄せて木々のざわめく音。ぼんやりとした気分が掻き消えて、霊夢はまたルナサの横顔を見た。今日も何か彼女について新しいことがわかるかもしれないと、少し期待する。
 それにしてもルナサは依然、今日という日の沈静な空気に溶け込んでしまったように黙然としている。このまま自分が何も言い出さなければ夜まででもこうして居るんじゃないかと疑われて、
「妹さんたちはどこへ行ってるの」と霊夢はとうとう口を切った。その拍子にルナサは何か夢の世界から突然連れ戻されたように、はっと霊夢の方を見て、
「今日は……A街の、学校」といつに変わらぬ平静な声で答えた。
 霊夢は返事が返ってきたことにほっとして、またその行き先の案外遠いことに驚いた。A街へはここからちょうど正面に望む山のひとつふたつを越えていかなければいけない。飛べる彼女たちにとって移動は苦ではないだろうけれど、距離はかなりある。霊夢にとっては一年に数えるほどしかしないだろう遠出だった。
「昨日は三人揃いで披露宴だったよ」
 聞くとこれもA街以上に遠い村からのお呼ばれだった。どうやらプリズムリバーの名声はかなり広く知られているらしい。
 これで興味が湧いて、話の種にとこれまでの出張の話も訊いた。
 催した演奏と一緒に思い出がしまわれているのだろう、出張先の土地の風物や出来事まで、ルナサは事細かに覚えていて、ひとつひとつ丁寧にそれを話した。まぶしいばかりに強く差す冬の日に、白く白く輝く木々に時々目を細めては、こっちの山裾、あっちの麓、この山の手前、あの山の向こう側……と、霊夢のいまだかつて足を踏み入れたことがないようなところばかり、文字通り四方山話をいくらでもつづけた。旅に焦がれる風狂子よろしく、驚くばかりの豊富な体験談は、言葉は少ないながら、実に鮮明な語り口でなされた。
「その山がいちばん、好きかな」
 話がやはり霊夢の知らない山に差しかかったとき、ルナサはつと感情のこもった声でそう言った。霊夢はその声色の変化に、たぶんそれがいちばんいい思い出なのだろうと、つづく言葉にことさら耳を澄ませた。
「きれいな川筋があって、ハヤがよく取れるよ。……みんなで釣りに行った」
 各々の楽器をかたわらに、川岸に腰かけて仲良く釣りに興じる三人の姿を想像すると、なんとなく微笑ましい。
「釣りなんかするのね」
「二人とも、私よりは上手」
 そういう言葉にも厭味はない。すこし愛想のあるしゃべり方なら、微笑みのひとつも浮かべて言うような言い方だった。けれどそんなときもルナサはあまり表情を変えない。霊夢はそれを知っている。
「見た目はどう。花とか、木とか」
「景色もいいよ。とくに山頂は、ほんとうにいい」
「一望千里ってやつね」
「遠くに海が見えるんだ。夕方ころ、紅と金の混ざった……波が、すごく綺麗で」
 ルナサは自分の語るその眺めを思い出そうとするように、首をちょっと空のほうへ傾けた。霊夢もつられて空を見た。ちょうどそのとき、見覚えのある鳥が一羽、くるりと羽を翻して、杉の枝先をかすめるように低く飛んで行った。
 ルナサはふわりと手を上げると、後を追うようにその動きをすっとなぞって、その繊細な指先で飛翔の軌跡を再現してみせた。そうして、
「あの鳥は、とても飛ぶのが上手だね」と言う。そう言われれば、たしかにうまく飛んでいたようにも思う。霊夢はいままで、飛び方の上手な鳥と下手な鳥がいるとは考えたこともなかった。
「でも、すこし淋しそうだった」
 ルナサは上げた手をまたふわりと膝の上に下ろした。たった一瞬の飛翔に、その描いた曲線に、どうしてそんなことがわかるのだろう――けれども霊夢は淋しそうというルナサの言葉を聞いて、さっきの鳥によく似た二匹がいつもつがい、、、でこの辺りを飛んでいたような気がした。それがさっきは一羽で。霊夢は黙っていた。そこから先を考えはしなかった。そうしてただルナサに感心していた。彼女はあらゆるものに、自分には通じない何かを感じ取っている。音楽家というものは、というより芸術家というものはこういうものかと思った。
「連れて行ってあげようか」
「ん、何が」
「さっきの山」
 ああ、と霊夢は合点する。話は戻ったらしい。
「いいわね。それじゃあ……」
「明日にでも」
 それじゃあいつか、と言いかけた霊夢を遮って、はっきりとルナサは言う。
「明日、ねえ」
 霊夢は戸惑った。遠くの山へのお誘いに、今日の明日とはずいぶん唐突な申し出に思えた。けれどそれほど奇麗な眺めなら、是非にも一度は見てみたい――それにここでいつかと答えてしまったら、この話はそのままお流れになってしまう気がする。突然の誘いはいつもそんなものだ。そう思うと明日という申し出は、ほんとうに連れて行こうという気持ちの素直に表れた親切なものに思われた。
「そうね、晴れたら」
 霊夢は気分よくそう答えて、「冷茶でもいれるわ」と席を立った。「うん」と返事をしたルナサは、ぼうっと空を見上げて、もう何か新しい考えごとに耽っているように見えた。
 ルナサはまたさっきの鳥を見たときのように、一見して拾い上げるべきこともない今日の平和な光景に、彼女にしか通じないさまざまな情緒を楽しんでいることだろう。そう思うと羨ましい。障子を越す間ぎわ、ちょっと空を振り返ってみたけれど、やはり霊夢には明るみにとろりとした退屈な冬の空にしか見えなかった。
 どうも思っていた以上に天真無垢なお嬢さんだと、冷茶をグラスに注ぎながら、霊夢は少し可笑しく思った。煩に耐えない世間のあらゆる繁忙やしがらみは、きっと彼女には無縁のものだろう。自分もそういうものは避けてきたつもりでいる、けれどそれは意識して避けてきたに過ぎない。彼女はそれを上手にすり抜けて生きているように見える。似たような境遇にいても、その性質はまったく違うように思われた。だから話すのも楽しいのだろう。――なるほどね、と霊夢はひとりごちた。また少しルナサのことがわかった気がした。
 縁側を覗くと、ルナサはまだ空を見上げたままでいる。けれどさっきまで傍に置いていたバイオリンを、いまは膝に立てかけるように置いている。霊夢は不思議に思って、障子に身を隠してそのまま様子をうかがっていた。
 やがてルナサは落ち着いた手つきで右端の弦にくっと小指をかけた。そうしてその最高音の弦をぴぃん、と弾く。俄かに高い音――その細く軽やかな音色の余韻が少しずつ弱まって弱まって、やがて溶けるように消えてしまっても、ルナサはまだ目を閉じたまま、じっと大気に耳を傾けていた。遠い空のはてからの反響までも聴きわけているかのように。ひとしきり四辺あたりはしんとする。
「……どうかした?」
 ちょっと待ってから進み出て声をかけると、すぐにルナサはこちらに気がついて、
「明日は、晴れるよ」と夢見ごこちに呟いた。
「ん?」と思わず訳を尋ねるような声を返すと、
「すごく澄んだ音がする」
 こう言って、ぴん、とまた軽く弦を弾いてみせる。その金具の外れるような音を聞いてみても霊夢には何だかよくわからなかったけれど、澄んだ音と言われればやはりそんな気もした。そうしてこんな音がするときには、大気や空に湿気が少ないのだという。この具合なら二三日は晴れつづきでもおかしくないと、ルナサはつけ足して言った。
「へえ」と霊夢は感心した相槌を打って、もとの場所に座りなおす。これで明日は遠出に決まった。なんとなく心が浮き立つ。冷茶をすすめると、ルナサは「どうも」とやはり短い返事を返して、
「それから……」
 と少し言いよどみ、冷茶を膝もとに寄せた。その言葉の小休止にふと霊夢は、彼女が手に持った何かを口に運んでいることに気づいた。そういえば小指で弦を弾くとき、手には何か丸いものが握られていた……。
「このお饅頭は、すごくおいしい」
 その言葉にハッとしてお饅頭のうつわに手を伸ばすと、まさかと思うより早く、指先はかり、、、とお椀の底を掻いた。見るとルナサはその最後の一個を手に――既に半分欠けて――もくもくとそれを頬張っている。そうして霊夢が次の言葉を継ぐまえに、残りの半分もひょいと口へ放り込んだ。いかにも美味しそうに目を閉じながら、最後はゆっくり咀嚼して、ごくりと飲み込むと「ごちそうさま」と丁寧に。そうして冷茶を啜る。少なく見積もっても五つ六つは残っていたお饅頭が、わずかの間に忽然と姿を消したのは、どうやらこのバイオリニストの小さなお腹に隠れたものらしい。
「いつのまに」
「お茶を入れてくれるっていうから」
「たしかに勧めたけど、全部食べていいとは……。まだ一個しか食べてなかったのに」
「一曲弾こうか」
 ルナサはさっさとバイオリンを肩へ乗せる。霊夢は呆気に取られて返す言葉がない。なるほどこれはちゃっかり者のレッテルも貼り足しておいたほうがいいだろうと、霊夢は心中に思った。今日の最大の発見に違いない。ともかくちょっと贅沢な三時のおやつは、そのちゃっかり者の計らいで、知らぬ間にちょっと贅沢な三時のコンサートになってしまった。
「お饅頭即興曲」
 弦とため息のアンサンブルが凪いだ空へと抜けていく。空には一点の雲も見ない。
(2008年03月03日 「東方創想話 作品集その51」にて公開)

Zip版あとがき

霊夢とルナサは似ているところと似ていないところがけっこうはっきりしているような気がします。 それだけに並んでみれば相性はいいんじゃないかと思って、またしても不思議な取り合わせではありますが、 思い切ってツーショットを組ませてみたものです。春になりかけの日あたりの縁側で、のんびり語らう二人の様子は さぞかしまったりしてるだろうなあ、なんて思っていたら、まずまずその通りになりました。 さらっと書き上げたわりにはそこそこお気に入りです。

Shiraha.Zip