Shiraha.Zip

おてがみひらり

 家に帰ると、机の上に覚えのない紙切れを見つけた。重しになっている空の牛乳瓶をどけると、
『また あそぼ まってる』
 あまりにまずい字。字と呼べるのも、ぱっと見の印象のおかげでかろうじてそれを口にし音にすることができたからで、じっと見ているともう何かひび割れの模様か雷鳴の軌跡としか見えてこない。いっそ何かのまじないの出力かとさえ思った。最も周波数の大きな文面としてギネスに申請してはどうだろう、とも思った。そのうちに、末尾が「まってる」か「まってろ」かも怪しくなってくる。うかうかしていると、いつでもただの落書きにもどってしまいそうなけはいだった。
「また遊ぼう、待ってる。か」
 読み方が逃げてしまわないように、魔理沙はもういちど文面のことばを口の中にくり返すと、ランニングで流した気持ちのいい朝の汗をタオルにぬぐって、長椅子の端に腰かけあらためてその手紙と向きあった。
 差出し人が書かれていない。けれどさいわいこんな暗号的ひらがなをあやつる知り合いは、魔理沙には一人しかなかったので、心あたりを探るに頭を悩ます必要はなかった。それよりなによりあのお馬鹿氷精が、どうしてこんなまわりくどいやり方で意思の伝達を図ってきたのかが不思議というものだ。まして――
「昨日さんざん遊んだばっかりだろうに」
 魔理沙は手紙をもとあったところにほうり投げると、パンをふた切れと、冷蔵庫から牛乳を出して、簡単に朝食を済ませた。テーブルにならんだふたつの空の牛乳瓶には、どちらも「特製」のラベルが貼られている。朝の牛乳には一家言ある魔理沙の、こだわりの牛乳だ。
 そのすばらしくおいしいことを自慢したのが昨日。そうして「今度飲ませてやるよ」の言葉を真に受けて、まだ日も昇ったばかりという今日の早朝に、チルノは家に押しかけてきた。
 外は風が強かったらしく、髪も服もばさばさに乱しながら、そんなことは気にもとめずに息を切らして「牛乳ちょうだい!」の第一声だ。よほどあきれたけれど、約束は約束、ひとまず一本の牛乳を渡して、「飲んだら帰れよ」と言いつけ自分は日課のランニングに出かけた。もどるまでじっと待ってるやつでもないだろうと思ったら、案の定、待っていたのは空の牛乳瓶が一本ばかり。そうしてその下に、この手紙だ。
 「なんだかな」とため息をひとつ。まったく、やれやれな話だった。けれど待ってると言われたからには、行ってやらねば可哀想だ――おひとよしな、と魔理沙は思わず口元にばつの悪い笑みを浮かべたが、いまのところそれは自分の長所として受け取っておくしかなかった――それにどのみち今日もこれといった予定はない。あてもなく街をぶらぶらするのも、チルノと遊ぶのも、大差はないだろう。
 飲み水のペットボトルを一本と、それをほうきにくくるための紐を持って家を出た。首をあげ空を仰ぐと薄雲に透かして見える太陽は、おおよそ十時の傾きだ。ほうきにまたがり、ぐっと地面を蹴って空へ飛び立つ。風はまだ強い。草の香り、鳥の声、街方にのぼるパンやケーキのいい匂い――なにもかにも一緒くたに運んでくる南風だ。湖へはいい追い風になる。

***

 いつもの場所に着くと、砂利の浜辺はひっそりとしてさわさわと波の寄る音ばかり、あたりにチルノの姿は見えない。かわりにきらきらと輝く妙なものがいくつも転がっている。何かと思い近寄ってみて、ぎょっとした。
 蛙、蛙、蛙だ。それも全部凍っている。
 あの馬鹿、と魔理沙は苦い笑いを洩らした。そうして不幸にも林の影に落とされた可哀そうなかたまりたちを、箒の柄の先、足の裏でひとつふたつと蹴飛ばして、日のかんかんと照る熱い砂利の上へさらしてやった。氷のおもてがうっすら汗をかいて、じりじりと、少しずつ溶けはじめる。解凍が間に合わなければ天命だ。恨んでくれるな蛙たちよと、遊び相手の尻拭いをそこまでにして、魔理沙は近くにいるらしい犯人の姿を探しはじめた。
 湖上は眩しい。やすみなく吹く夏風に、絶えず模様の変わりうつろう水脈みおの光に目を細め、ずっと向こう、もうよほど山端に近いあたりに目をやると、どうやら蛙たちの無邪気な快楽殺人犯ラストマーダーはそこにいた。
 ひとりではない。仲間の妖精たちと追いかけっこのようなことをして遊んでいる。そのなかでチルノだけは、背中にしょった氷の羽ではっきりそれとわかる。
 飛んでいこうかとも思ったけれど、風にあおられ水に落ちてもつまらないので、湖のまわりをぐるりと迂回して歩き、妖精たちの遊び場へと向かった。近くまで来ると、大声で呼ぶ前に、チルノはこちらに気がついて、群れから離れてやってきた。そうして、
「魔理沙、どうしたの」と意外そうに言う。
「どうしたって、待ってるって書いていったじゃないか」
 どういうことだよ、と少し不機嫌を装って言うと、返ってきたのはまったく予想外の反応だった。
「なあにそれ。しらないよ」
 湖水を映したように青い瞳が、くりんと不思議そうに揺れる。嘘をついてはいないと、ひと目でわかった。長い付き合いだ。こうまでしれっとしらばっくれることのできる役者でないことは、よく知っている。
「人違いか……?」
 ふうむと魔理沙は考え込む。あのタイミングで、あの文字だ。どうしてもチルノでないとは思えないが、顔を上げて、そのいかにも何も考えていませんというような両の瞳を直視すると、やはりどうしてもとぼけているとは思えない。どういうことだ、と自問する。ひょんなことから、妙なジレンマに巻き込まれてしまった。
「あそんでいく?」とチルノがふいに尋ねるので、
「いや、やめとこう」
 と答えると、そう? と軽い返事。妖精たちに交じって遊ぶのは、子供たちの砂場に大人が立ち入るようでなんとなくきまりが悪かったし、ひとまず手紙の主をつきとめなければ、気が安まらない。チルノでない可能性をこれっぽっちも考えていなかっただけに、これは忽然降って湧いた、ちょっとしたミステリーだった。「待ってる」という文言を思い出すと、余計に不安な気持ちになる。いまも誰かが自分を待っているのだ。
「これ、頼む」と魔理沙は水のボトルをチルノに投げた。チルノは慣れた手つきで両手にそれを受け取って、ぎゅっと胸のなかに抱える。
「そんなにあるくの」
「さあな。ともかくお前じゃないなら、誰なのかははっきりさせないと。――すぐに見つかればいいけどな。お前はしばらくここにいるのか」
「あたい? みんながかえるまでは、ここにいるよ」
「じゃあ、差出人がわかったら戻ってくる」
「いってらっしゃーい」
 そう言いながら、飛び立つまぎわの魔理沙に向けて、チルノは預かったペットボトルを投げてよこす。中の水は芯まですっかり凍っている。握った手に結露がじわりと冷たい。「さんきゅ」と魔理沙は短く礼を言って、地面を一蹴り、片手で帽子をおさえながら、いま来た方へと、向かい風をみだして飛んで行った。雲はぐんぐん北へ流れていく。

***

 いったん家まで手紙を取りに戻ったあと、まずはアリスの家に向かった。
 空から見たとき目立つようにと、いつか無理やり塗り変えさせたまっ赤な屋根が見えてきて、高度を落とすと、オルガンの音色が風に乗ってやってくる。窓が開いてるなと見てとると、魔理沙は、表口へ向いたほうきの柄の先をぐいと裏手の方にひねって、大きくいちど屋根のうえを旋回すると、降下のいきおいそのままに、ごうっと窓からすべりこんだ。窓枠はがたがたと音を立てて震え、ならべてあった人形がいくつか床に落っこちる。飛びこんだ体はソファがしっかり支えてくれて、着地はなかば成功だ。はたとオルガンの音が絶えた。
「よう。邪魔するぜ」
「いらっしゃい」
 アリスは指を鍵盤に乗せたまま、あきれた顔でこちらを見ている。いつものことながら動じはしないが、演奏の邪魔をされたせいか、今日の視線はひときわ冷ややかだ。アリスはことさら聞こえるように大きく息を吐いて、
「魔理沙はいつもアレグロね。アレグロ・カンタービレ」とあきれたように言った。
「なんだそれ」
「こういうの」
 そう言って、たらららたらららん、と素早いテンポで鍵盤を叩いてみせる。なるほどちょっとせわしないが、自分にはぴったりのサウンド・エフェクトだ、と魔理沙は思った。そうして、この軽い皮肉でさっきの自分の暴挙はチャラだ。アリスは椅子を立って、床に落ちた帽子をぽんと魔理沙の頭に乗せる。
「お茶でも入れるわ。人形、もとにもどしておいてね」

 いきさつを話し、問題の手紙を見せると、アリスはしばらくじっとその模様とも文字ともつかないおもてを眺めてから、
「お手上げね。チルノじゃないなんて、考えられない」と珍しく匙を投げた。
「心あたりもないんでしょう」
「まったく」
「じゃあ、やっぱりお手上げ」
「とりあえず、知り合いはしらみつぶしに聞いてまわるしかないなあ」
「こんな日に御苦労ね。風、これからもっと強くなるわよ」
 その言い方が、あまりに見てきたような言い方なので、
「ふぅん。どうしてわかるんだ」と尋ねると、
「人形占い」
 とアリスはしれっとして言う。もちろん冗談だ。きっと何か知るアテがあるのだろう。こうはぐらかされたときはいつも、それ以上突っ込んで聞くことはしないから、本当のところはわからない。けれど、これくらいのことは、アリスにはよくあることだ。
「帽子、置いていったら?」
「平気だぜ。じゃあ、行ってくる」
 魔理沙は出されたお茶をひとくちに飲み干すと、今度は人形を倒さないように速度を加減しながら、入ってきた窓から外へ飛び出した。こうなれば徹底的に捜してやろうと意気込んで、もはや心あたりは片端から回るつもりだった。

***

 紅魔館へ行くと、門番は珍しく仕事をしていた。そうしてさも仕事をしていますと言いたげに、背筋をぴっと張って、「こんにちは!」といつに変わらぬ愛想のいい挨拶をよこす。手紙を見せると、これは絶対チルノちゃんの字ですよ、と自信満々に言った。門番はさっそく不正解となったので、頼んでパチュリーに回してもらうと、三千年前の北方古代文字に酷似しているとの返事だった。まったく役に立たない情報だ。墓の下で待たれていても、行ってやるすべがないし、義理もない。
 冥界へ行くと、庭師がせっせと仕事をしていた。手紙を見せると、なんの絵ですかと怪訝な顔をした。いきさつを話すと、これが文字ですか、と途方にくれたような顔をした。たしかに、こいつの書く字は几帳面そうだな、と思った。ふたりしていろいろ思案をめぐらしたあげく、差出し人の見当はやっぱりつかなかった。主は留守にしていた。幽々子なら何かわかるかもしれないと少しく期待していただけに、アテが外れる。
 永遠亭へ行くと、イナバでもそんな字は書かないと鈴仙に笑われた。どうみてもチルノの字じゃん、と横からひょっこり顔を出したてゐが、小ばかにしたように言った。そうじゃないらしいと言うと、じゃあ知らない、とにべもなかった。永琳もまた、手紙を前に首をかしげてしまった。こればかりはいかな天才にもわからないらしい。そうして、姫様には見せる必要はないでしょうと、話をそこまでに、やんわりと追い出された。
 数時間前の意気込みも、このあたりでいよいよすり減ってきた。マヨヒガに八雲家を探しあてるのは骨が折れるし、慧音や妹紅はふだんどこにいるのか見当もつかない。八方つてを失って、もうおやつの時間も過ぎただろう、西に傾きはじめた陽を背中に浴びながら、とぼとぼと山道を下ってくると、湖につきあたった。さっきの妖精たちの遊び場はすぐそこで、まだ飽きずルールのない追いかけっこのような遊びに耽っている。
 ちょうどそのとき、どうっと吹き寄せた一陣の突風に背中を押されて、自然とため息が洩れた。もう行くところもあそこしかないな、とひとり言がこぼれる。
「藁にでもすがりますか」
 先の突風に、細い草の葉や朽ちた枝や、藁屑のようなものまでが、たったいま藁呼ばわりされた博麗神社へ、一足先にと水面を越していっさんに飛んでいった。追いかけていきたい気持ちに駆られたが、もう風はよほど強い、湖上でなくても飛ぶのは危ないように思われた。安全を期して、また湖をぐるりとまわっていくことにする。
 じつにのどかな、とろけるような初夏の午後だ。時々、ペットボトルの栓を開けては、溶けた分だけ水を飲んだ。氷が中でごとごという。もう半分も残ってはいない。頭の上ではカンバスに指でなすったような薄雲の群れが、どれも揃って北へ北へとせわしなく引き上げていく。
 からだの疲れも手伝って、頭がぼんやりする。西日を浴びてほんのり赤く、上へ下へと飛びまわる妖精たちを、まるで別の国のできごとを見るように眺めるともなく眺めながら歩いていると――砂利を踏む心地よい感覚にも助けられ――いつしか手紙のことも忘れて、魔理沙は夢ともうつつともつかない考えごとの世界にのめっていった。

***

 妖精ってのはすごいもんだな、と魔理沙はいまさらながら思う。
 足はまっすぐ歩きながら、視線はずっと妖精たちの遊びに釘付けだった。いや、もしかすると無意識のうちにも、視線はその中でひとり赤の中に映える、青い服に青い羽の氷精だけを追っていたかもしれない。ひっきりなしに入り交じるさまざまな色の、さまざまな動きの中にも、たしかにいちばんよく動いているのは青だった。
 圧倒されるような元気だ。あんなにぎらぎらとみなぎる活力を、魔理沙は他に見たことがない。それだけに、自分が人から元気のいいことを褒められると、素直に嬉しい気持ちの隅に、ほんの少し、どこかで不思議な気持ちが湧いてくる。
 魔理沙はいつも元気ね。相変わらず元気だな。元気、元気……と、いつか聞いた人の言葉が次々と脳裏に再生されて、魔理沙はそれらを、ははっ、と笑い飛ばさずにはいられなかった。元気。そうだ、元気だ。けれど自分の元気は、半分ファッションだ。そうしていなければ自分らしくない、、、、、、、というところの――無理して装っているわけではないけれど、そう簡単には脱ぎ捨てられない一張羅なのだ。元気でいてもいなくてもいいから、元気でいる。そういう性質のものだ。
 チルノはそうはいかないだろう。あの元気は本物だ。尽きることを知らない無限の元気。光も風も、水も空気もそっくりエネルギーにして、そうしてそれを、身のうちに抑えておくと溶けてしまうとでもいうように、見境なく発散する。笑うときでさえ、いつも力いっぱいの笑顔だ。あれほど気安く見ていられる表情も少ないと魔理沙は思う。トゲも短剣も隠れる影はない。もはやそれは表情でさえなくて、自然のエネルギーの発露をそっくり見ているようなものなのかもしれなかった。
 ふと足元を見ると、燻したようなあたたかい砂利の上に、蛙の死骸がいくつか転がっている。解凍が間に合わなかった、不幸な犠牲者たちに違いない。ペットボトルに残った水をかけてやっても、蛙は息を吹き返しはしなかった。魔理沙はしかたなく、それらのそばを通り過ぎる。そうだ、時にはこういう犠牲を要するほどの元気なのだ――これは決してチルノの罪じゃあない。
 けれど他でもない、そういう途方もない元気こそ、魔理沙がチルノに惹かれるいちばん大きな理由だった。負けてられるか。そう思えばこそ、チルノといっしょにいれば、しぜん自分も元気になれるのだ。
 魔理沙は記憶のなかに、チルノと遊んだ日々を一日また一日と思いだす。どうにも気分の滅入った日、気力の乏しいときにこそ、魔理沙はチルノと遊びたかった。めいっぱい遊んで、めいっぱい接して、つづく日々に「元気な霧雨魔理沙」でいるための力をもらいたかった。だから、そういう日には、決まって湖の近くをうろうろしてみたものだ。ちょうど今のように――。
 かあと高く鳴ったカラスの一声に、はっと我にかえると、そこはもう浜辺ではなかった。頭上には緑の木々がしんしんと枝を伸ばしている。
 深く考えごとに耽っているときにありがちな、現実に見ているものと、想像の世界をいつしか隔て得なくなってごっちゃにしてしまう幻覚に、いつの間にかどっぷり嵌っていたものらしい。妖精たちの姿は途中からはずっと幻で、気づけばそこはもう、湖の香りからはよほど遠い、博麗神社の長い長い石段の前だった。

***

 霊夢は縁側のいつもの場所に腰かけて、広い境内に吹き荒れる風を疎ましそうに眺めていた。この強風では掃除もまるで甲斐がないらしい。箒を足元に横たえたまま、傍に置いたおやつの器に時々手を伸ばしては、ぱりぱりと覇気なくおせんべいを噛んで、あとは物憂い彫像のようにぼけっとしている。
「相変わらず退屈そうで羨ましいぜ」
 と声をかけると、霊夢は伏せた目を上げてちょっとこちらを見て、膝に頬杖をついたまま、
「魔理沙。あんた今朝どこいってたの」と言った。
「なんだ、じゃあこれ、まさかお前か?」
 魔理沙はぎょっとして、慌てて例の手紙を広げて見せると、
「そうよ」
 と霊夢の返事は淡白だ。魔理沙は仰天して、思わず霊夢の姿を凝視した。利き腕を骨折しているようには見えない。おやつをつまみあげる指先も見たところいたって健康だ。
 霊夢は何よとばかりにその視線をはねつけると、
「今朝落ちてきたの、拾ってあげたのよ。何かと思ったけど、ちょっとしたらチルノが飛んで行って、行き先見てたらあんたん家のところで降りたから、届けに行ったんだけど、誰もいないんだもの。置いて帰ってきたわ」
 と、いかにも大儀そうに、ひといきに事の次第を話した。
 一瞬頭がパニックになる。チルノの手紙を、霊夢が届けに来た? それじゃあやっぱりあの手紙は、チルノが書いたものじゃないか。そうして、誰もいなかったという霊夢の言葉からすれば、ちょうど自分がランニングに出かけて、チルノが帰ったあとに、入れ替わりで訪ねてきたものだろう。なんという間の悪いことだ。魔理沙は額に手をあててうつむいた。頭痛がする。
「どうりで話が通じないわけだ」
 すべて理解したとたん、今日一日の奔走がまるまる無駄足と知れて、さすがにがっくりきた。霊夢に言葉を返すのも忘れて、悄然とその場に立ちつくす。アリスや美鈴や、てゐの見る目はたしかに正しかった。
「なんだかわからないけど、おつかれさま」
「ああ、ほんとうに、おつかれさまだよ」

***

 湖に帰ると、妖精たちの今日の集まりは、ちょうどおひらきになったところらしく、最後まで残っていた数人がぱらぱらと各自の帰路に散っていく。今度ばかりは間がよかった。魔理沙はさっそくチルノを岸に呼びつけて、
「やっぱりお前じゃないか。霊夢に聞いたぜ」と手紙を突き付けると、チルノは、
「あーっ!」と突然、牛を追うような大声を出して、
「どうして魔理沙がそれもってるの!」
 ひじょうな剣幕で、魔理沙の手から手紙を奪い取った。その反応に魔理沙はてっきり、チルノが自分の手紙を落としたことに気がついてなかったものと思って、
「どうしてって、お前が落としたのを、霊夢が拾ってうちに届けたんだよ」
 と幾分たしなめるように言うと、
「まったくもう。人のだしたてがみをひろうなんて、ひじょうしきよ」
 チルノの答えは、今日二度目の予想外だった。
「ん……出した?」
「うん。きょうのあさ。だしたよ」
「どこからだ、っていうか誰にだよ」せっかく筋の通った頭が、思わぬところでまた乱された。「ああもう、ちゃんと説明しろ」
「しょうがないなー。だからね……」

 チルノの発想はいたって一途でシンプルだった。今日のようなまっすぐの南風に手紙を託すと、それは北へ北へ流れて行って、森を越え、山を越えて、いつかうんと寒いところへたどり着いて、きっとレティに届くのだ、、、、、、、、、、、と、チルノは胸を張って言った。そうして今朝、絶好の南風に投函したところが、ちゃんと末路を見届けなかったので、運悪く――あるいは運良く、かもしれないが――博麗神社に落ちたのを、霊夢に拾われたのだった。あとは霊夢の話通りだ。つまるところ偶然に偶然が重なって、結果的に魔理沙ひとりがさんざん振り回される羽目になったというのが、悲しいかなことの真相であるらしかった。
「名前くらい書けよ」と言う魔理沙の声は情けなく、すっかり力が抜けている。
「レティはあたいの字だって、わかるもん」
「さすがは教えた張本人か」
「それにあたい、まいとしうまくなってるんだから」
「去年まではレティも読むのにさぞ苦労しただろうな。で――」
 返事は、と魔理沙は言いかけて、それはいかにも意地の悪い質問に思われたので、言葉になるまえに飲み込んでしまうと、
「なにはともあれ、一件落着だぜ」とお茶を濁した。
「どういういみ?」
「んー。ぜんぶうまくいった、ってことだ」
「ふーん」
 そう、これで一件落着だ。魔理沙は今日ようやく、ほっと心の休まる思いだった。

 手紙は出しなおすことになった。
 朝から吹きっきりに吹いた今日の南風は、いよいよピークに達して、湖のおもてにしぶきを立てるほどに強くなってきたが、チルノはなかなか投函しようとしない。たいせつな手紙を託するに値する、とびきり腕のいいやつを待っているのだろう。朝の配達は失敗したのだから、慎重になるのも無理はない。
「まだか?」
「まだだめ。せっかちね」
「せっかち、ねえ。お前その言葉、レティに習ったんだろ」
「うん」
「じゃ、いつかお前も言われたってことじゃないか」
「う……そんなこと、どうだっていいでしょ!」
「ほら、いい風が来たぜ」
 南の森がざわざわと騒ぐ。雲の動きがぐっとはやくなってきた。これだ、と思ったらしい、チルノは「あ!」と一声上げると、すかさず魔理沙を置き去りにして湖上に高く躍り出た。そうして、いつになく真剣な目つきで、北の山々の向こうを見据え、ぐっと高く手を伸ばした。
 目よりも高く差し上げた小さな手から、さっと手紙がすべり出る。すべり出た手紙は小さなてのひらの、その伸ばした指先よりももっと高く、高く舞い上がって、今日いちばんの突風の、北指す流れにかえりかえってぐんぐんぐんぐん飛んで行く。
「いった!」と歓声をあげて、チルノはもう、うれしさを抑えきれないといったふうに、からだじゅうではしゃいで見せた。「これならぜったいいったね!」
「そうだなあ。はやいはやい」
 左、右、左、右、ひらり、ひらり。アレグロ・カンタービレだ、と魔理沙は思った。北のかた遥か遠く、冬の妖怪の避暑地めがけて、無邪気な想いが軽快に行く。
 こんどこそ誰かに拾われることはないだろう。チルノはずっと、背中を押す風に青い髪を吹かれながら、一心に手紙の行く末を眺めていたが、やがてその姿が見えなくなると、こちらを振り向き、にぃっと満面に笑った。魔理沙の身に元気をくれる、あの笑顔だ。
「いっけんらくちゃく!」
 よく見ておこうとしっかり仰いで見つめると、はしゃぐチルノの素足の裏が、ちかりと眩しく陽の矢をはねた。
(2008年06月08日 「東方創想話 作品集その55」にて公開)

Zip版あとがき

連奏曲のマッシュアップのせいでどうもマリアリ派と思われている節があるので、 マリチルアピールもしておきたいなというそんな小さな欲求から立ち上げて、 このような形にしてみました。ヨコシマな感じを極力排除して、 太陽と風の香りをふんだんに取り入れてさっぱり書いてみようというもくろみでしたが、 ほぼ狙った通りに書けたように思います。やっぱり、マリチルはいい。うん。

Shiraha.Zip