Shiraha.Zip

魔女のケーキの半分は

「五等分に切り分けましょうか?」
「そうね。そうしてちょうだい」
 紅魔館にやってきた甘味はたいてい、魔法のおかげで季節を問わずよく冷えたここ魔法図書館に運ばれてくる。書架のあいだにいつでもほんのり甘い香りが漂っているのは、そういうわけかもしれない。今日のお届けものはロールケーキ。小悪魔の手慣れた包丁に、さっそく五つに切り分けられた。
「どなたから頂いたんですか?」
「街のお偉いさん。頼まれてた本を送ってあげてね、そのお礼」
「頷けますね。なかなかですよ」
 分けるだけ分けて、箱のふたをもどす。パチュリーはまだまだ忙しい。明るいうちにやっつけの仕事を片付けて、夜にゆっくりしたい性分の彼女は、昼時はたいてい瑣末事に忙殺されて、のんびり休憩している暇はないのだった。小悪魔もいそいでサポートにもどる。昼食も書き物をしながらのサンドイッチだ。もくもくと食べて、もくもくと筆を走らせる。今日も今日とていつもの図書館である。

 一時をまわると、ちょうどランチを終えたらしいレミリアが、ご満悦らしい様子でやってきた。きっと今日のメニューはお眼鏡に適ったのだろう。そんな機嫌のいい日は、こうして雑談を交わしに降りてくる。パチュリーにとっては片手間のティータイム。紅茶に砂糖はいれない。
 小悪魔は先のロールケーキをふた切れ、それぞれ小皿に乗せて、ひとつをレミリアの前に差し出した。ふわふわながらずっしりとした感じを与えるボリュームに、飴色の柔肌をくるりと巻いて、中には高貴な白のクリームがきゅっとつまっている。間近で見るとなんという結構な風采だろう。もうひとつはていねいにラップをかけられて、その隣にならべられた。これはパチュリーの分ではなく、レミリアがフランドールに持っていくためのものだ。
「うわ、なにこれ、めちゃくちゃおいしい」
 ひとくちフォークをくわえるなり、レミリアは目をまんまるくして、信じられないというふうに口元に手をあてた。ケーキの類は食べ飽きるほど食べている、甘味通の彼女がそういうのだから、これはよほどだろう。
「これはフランも大喜びだわ」
「なによりね」
「ねえパチェ、いいじゃない、いま食べちゃったら」
「そうしたいけれど、今日は忙しいから」
 レミリアの相伴のお誘いを、パチュリーは首を左右にやんわりと断る。仕事の多い日には、片付けるまで糖分は取らないというのが、彼女のひとつのきまりごとだった。
「頭をつかうときは甘いものがいいって、言うのにねえ」
「糖分が効くのはちょっとのあいだだけよ。長丁場には逆効果なの」
「もう、つまんない」
 レミリアはそう言いながらも、パチュリーのときどき話を聞いているふうな短い返事と、小悪魔の殊勝な相槌のおかげもあって、退屈することなく雑談をつづけた。そうして三十分ほどしゃべりたいだけしゃべってから、お土産のケーキを片手に席を立った。
「咲夜と美鈴にも伝えておいてくれる?」
 と帰りぎわの背中に呼びかけると、はいはい、となかばいい加減な返事がもどってきた。

 はたして言づては無事伝わったらしく、三時になると咲夜も降りてきた。連れて美鈴も――ただし門番におやつ休憩は、正式には与えられていない。このたびはお嬢様の特赦あればこそだ。咲夜も今日は見て見ぬふりの心づもりでいるらしい。
 おやつの準備がととのえられる。そうしてかちゃりとフォークが響くや、たちまち絶賛が起こった。
「これはまた随分……。お嬢様がお褒めになるだけのことはありますね」
「ほんとです。こんなにおいしいケーキ食べたの、何年ぶりでしょう。いままでに食べたなかでも指折りですね。ホームメイドでしょうか、それともどこかのお店?」
「箱には何も書いてありませんね、手造りかもしれません」小悪魔が箱をあらためて言う。
「売り物だったら、お給料貯めて買いに行きたいところですけど」
「数年に一度の楽しみになるわね、たぶん」
 この咲夜の水差しをきっかけに、それは払いが不景気だからと言わんばかりの美鈴の物言いや、誰のせいで紅魔館が笊で有名になったと思ってるとは咲夜の無情な切り返し、小悪魔はそんなふたりをなだめたりすかしたり、テーブルまわりはすっかり盛りあがったのだった。
 ところでパチュリーはというと、そんなさなかにもほとんど黙って本を見やり筆を走らせていたものの、けっしてふたりを煩がっていたわけでも、つとめて無視していたわけでもなく、むしろ逆で、彼女にとってはこういう平和な会話が耳から入ってくるだけでも、ちょっとした休憩代わりになるのである。咲夜もそのあたりはちゃんと心得ていて、むやみに気を散らせるようなこともなく、かといって気を使いすぎることもなく、上機嫌で饒舌になった美鈴を上手にあしらいながら、自身も楽しく午後の休憩を笑いのうちに満喫していた。その点、小悪魔のアシストも見事だった。この二人が同席して、和やかな雰囲気に落ち付かないお茶会はありえないように思われた。

 夕方と呼べる時間も早や過ぎて、もう夜に近づいたころ、ようやくやるべき雑事を片付けたらしく、パチュリーはどっと背もたれに身をあずけた。あとは外へ出す書類や何やを、小悪魔に届けてもらう手はずになっている。彼女もまた昼よりは夜のほうが外では動きやすいのだから、仕事のやり方はやはりこういう形が理想的なのだった。
 朝からずっと、ことに咲夜と美鈴のおやつ時以来は、まったく机の外と没交渉でやってきただけに、パチュリーはまだ夢から覚めたばかりの心地で、ぼんやりと図書館を眺めていた。そうしてふいに注意力をとりもどした人がそうするように、彼女もまた自分の意識を切っていたときにここで何があったのか、気になりはじめた。レミリアが本を探しにやってきたことには気がついた。その他にも扉の開く音を一度くらいは聞いたような気がする。けれども、覚えていることといえばそのくらいのことだった。そういつも何かがあるところではないし、今日もとくべつ何もなかったのだろうか……。
 パチュリーはそうしてしばらくぼうっと天井を見ていたが、やがて素敵なご褒美のあることを思い出して、立ち眩みを起こしたようにふらふらと席を離れていくと、涼しい机に例の小綺麗な箱を覗きこんだ。
「あら……?」
 ここで彼女のロールケーキがまるまる残っていれば、話はそれで終わっていたのである。けれどもう少しだけ続けなければならないのは、もちろん、ケーキは無事ではなかったのだ。
 一目見て、厚みが薄い。靴が片方なくなってしまったみたいに、ちょうど半分ほどが削りとられて、ぽっかり姿を消している。よく見ると、端のところがちょっぴり千切れていた。そうしてまた、あらためて考えてみると、箱の閉じ方もいささか乱暴だった。几帳面な小悪魔の仕方ではない。なるほど、そういうこと――パチュリーはそう一人ごちて、出かける準備に上着を羽織ると、一冊の薄い本を書架から選り抜いた。その顔には、ほかのどんなときよりも魔女らしい、いつになく不敵な表情が浮かんでいた。

「ケーキを盗まれた? 馬鹿ね」
 あきれ勝ちの驚きを隠そうともせず、いっそ辛辣なひとことも添えて、レミリアは友人の来訪をこころよく出迎えた。「半分ね」と言い足すと、ふーん、と妙な話を聞いたような顔をしている。たしかに妙な話にはちがいない。
「いっとくけど私じゃないわよ。たしかに味はよかったけど、わざわざ人の分まで掠めて食べるほどじゃあないわ」
「まあ、そうは思ってたわ。念のためよ」
 盗人がレミリアである可能性は、ひとまずここでなくなった。嘘の下手な彼女のこと、本当に犯人ならこんな堂々たる態度は取れるはずがない。パチュリーにしてみれば"レミィの嘘"ほど看破のたやすいものはなかった。それはレミリアの方もよく知っている。
「本だけじゃ飽き足らず、おやつまで盗られるなんて、つくづく運がないわね」
 くつくつとレミリアのからかうように笑うのにも、パチュリーはむっとするよりは脱力したようすで、
「あなた、あれから一度降りてきたでしょう。そのとき何か見てない」と尋ねると、
「さっぱりね。私は本を取りにいって、帰っただけだもの」
 レミリアは即座に首を横に振った。どうやらケーキの箱には近寄ってもいないらしい。
「図書館に降りたのって、私だけ?」
「どうかしら。見たのはあなただけよ」
「フランは一度も出してないし」
「あの子が入ってきたら、さすがに私でも気がつくわ」
「そうすると……ねえパチェ」
 そこでレミリアは何か思いついたように、ふと動きを止めた。そうして、本気でそう思っているのか、ふざけていっているのか、わからないような悪戯な笑みを浮かべて、こんなことを言ったのだった。
「咲夜なら、証拠もなにも残さないで持っていけるんじゃない」

「まさか。しませんよ、そんなはしたないこと」
 と咲夜の第一声は主人のそれと同じく、いささかあきれの混じった冷やかなものを含んでいたものの、音はやさしく丁寧語に包んで、聴き手にちっとも悪い感じを与えないところはさすがだった。
「たしかに私を疑いたくなる気持ちはわかりますけれど。とはいっても困りましたね、私がやってないということも、はっきりはさせられませんが」
「わかるわ。たしかめてみてもいいかしら」
「ええ、構いませんけれど、どのように?」
「これで」
 とパチュリーは持ち出してきた魔法書を片手に、早口に簡単なスペルを唱えると、本の表に刺繍された六芒星の魔法陣が、ほのかな色に輝きだした。
「嘘、ついてるかどうか、なんとなくわかる魔法。なんとなくよ。ちょっと、言ってみてもらえる」
「パチュリー様のケーキをこっそり半分いただいたのは、私、十六夜咲夜ではありません。――どうでしょう」
 はきはきとしたアクセントで言いきると、咲夜のまわりに籠めていた灰色は、にわかにぱっと白い靄になって漂った。これこそ一点の混じりもない正直な告白の印である。
「文句なく真っ白ね。ほんとに綺麗な心だこと」
「あら、ありがとうございます」
 真正面から褒められて、咲夜はおもはゆげに、ふふ、と笑う。そうして、
「そういえば、ひとつ心あたりはありますよ」
 と全身に正直な色を残したまま、こんなことを言ったのだった。
「夕食どき、美鈴が人目をしのんで地下に降りるのを見かけましたわ」

「あのう、私なんでこんな時間に、呼び出されて……?」
 エントランスに呼び出された門番は、呼び出し主を認めるや、すっかり恐縮している様子だった。いままでのふたりとは明らかにちがう態度に、
「夕方ごろ、図書館に忍び込んだでしょう。やましいことがあるなら白状なさい」
 パチュリーの出方もしぜん高圧的になる。そのぴしゃりとした宣告に、ぎくりとした様子を見れば、いよいよ疑念は深まったのであった。
「正直に言えば、怒らないから」
 すこし語気を弱めてそう促すと、誤魔化し切れぬと悟ったらしい、美鈴はおずおずと顛末をしゃべり出した。灰色の靄が渦巻きはじめる。魔法陣はまだ光っていた。
「ほんとうは、箱のどこかにお店の名前でも書いてないかなって、それが気になって、自分で確認に行こうと思ったんですけど、もしかしてまだ何人分か余ってたら……って期待しちゃって、それでこっそり潜ったんです。でも開けてみたら、一人分しか残ってなくて」
「それで半分食べていった、ってわけね」
「ええっ、そんなことしませんよ。というか、そのときはもう半分くらいの大きさになってました、ほんとです。それでがっかりして、でもそのまま帰るのもなんだか寂しくて、ちょっとだけその、端っこのところをもらいましたけれど……」
 そう申し訳なさそうに語る美鈴のまわりには、咲夜ほどすっきりしたものではないものの、たしかに正直な白が色濃く漂っている。すっかり門番が犯人だと目していただけに、これはいよいよ解せないと思いながらも、パチュリーは、ひとまず手に持った薄手の本をしならせた。ぱぁんと小気味いい快音がエントランスに響き渡る。
「な、なんで」
「怒ってないわよ。でもいまの話、十分叩かれるに値するでしょう」
「……はいぃ」
 ひと切れ分の制裁を受けて、門番はとぼとぼと持ち場にもどる。パチュリーもまた、けっして軽いとは言えない足取りで、地下への階段をくだっていく。とうとう犯人は見つからなかった。目星は総外れでみごとな失敗、喘息の発作も兆候が見えはじめて調査は続行不能、本に見る名探偵のように首尾よくはいかなかった。もう探偵は廃業だ。

 結局なにもわからなかった。レミリア、フランドール、咲夜、美鈴。誰ひとりとしてクロとは言えない。唯一ここにいない小悪魔はといえば、今日は仕事が山積みだった都合上、ずっと自分と一緒で、いちども視界の外に離れてはいないし、切り分けたときもつまみ食いなどしている様子はなかった。
「わからずじまい、か」
 ふうと息を吐いたあと、吐いた分だけ吸い込もうとすると、肺にぜええといやな音を聞いた。深呼吸すると、あっという間に胸がぱんぱんになって、どうやら吸える空気の量がもうだいぶ少なくなっていた。いけない、と思って発作止めにジャスミンティーを入れて飲む。すっと鼻に抜けてきた香りに、まさか魔理沙、と浮かんだ新たな考えは、けれどもすぐに自分自身に拒まれた。あの魔理沙が忍び込んだ先に見つけた御馳走を、謙虚に半分だけもっていく道理はない。まるごとたいらげていくに決まっている。
 八時のおやつだ。パチュリーは、費やした労力的にもまた性格的にも、目の前のロールケーキが小さいことより、ついぞ犯人のわからないことのほうが悔しかった。すでに二度見た堂々たる姿に比べるとだいぶ貧弱なそれを、釈然としない手つきで口に運ぶ。息切れの中に、天国の味わいがした。それはたとえ半分になっても、さっきまでのあてどない追及に終止符を打つには十分の、感動としあわせを彼女に与えてくれた。けれども、それですべてが帳消しになったわけではない。解せない気持ちはやはりそのままで、クリームのひとかけらも残さずまっさらにした小皿をじっと眺めながら、ていねいに口まわりを拭き終えてもなお、闇に消えた真相に「納得いかないわ」と呟かずにはいられなかった。

 魔女のケーキの半分は、はたしてどこへ消えたのか。こっそりそれを盗み出して、うまうまといただいてしまったのは、いったいどこの誰だったのだろう? いまのところそれは誰にもわからない。
 けれども実のところ、犯人などいなかったのかもしれない。いたとしても、それはもしかするとパチュリー自身だったのではないだろうか。たしかに彼女にまったく非がなかったと言えるかどうか、いまいちど考えてみる必要があるだろう。
 「五等分に切り分けましょうか?」と小悪魔は言った。レミリア、フランドール、咲夜、美鈴、パチュリー。これで五人である。だからこそ「六等分にしたら――?」そう言ってくれなかった主人に対して、もし彼女にささやかなしかえしの悪戯心があったなら、パチュリーが最後にケーキを食べるだろうことを知っていた彼女が、ほんとうにそれを五等分、、したかどうかは、それほど確かとはいえないのである。
(2008年10月25日 「東方創想話 作品集その61」にて公開)

Zip版あとがき

中身も見た目もライトな何かを書こうと思って、小品ひとつ。紅魔館でいちばんないがしろにしてはいけない彼女を顧みないと、 ひょっとするとこんなことになってしまう、かも?

Shiraha.Zip