Shiraha.Zip

家具売り巫女と前途多難な話

 吐く息もふわりと白む、身の締まるような一月はじめの朝早く。朝の散歩に今日はたまたま遠くまで足を伸ばした東風谷早苗は、ひと気のない山合いの街道で一人道端に座り込む博麗霊夢の姿を見た。だいたいいつもと同じ服装に、一枚だけ上着を羽織っているものの、それでもこの寒さはこたえると見えて、しきりに露出した肌をさすっている。背中には、彼女の小さな身体より遥かに大きい風呂敷を背負ったままでいる。夜逃げでもするみたいだ、と早苗は思った。そんなこと思っちゃいけません、とすぐに自ら修正を入れたものの、揺るがしがたいパッと見の正直な感想であった。
「霊夢さん」
 遠巻きに声をかけると、気づいて見上げたその顔には、あまり見つかりたくはなかったというような不歓迎の影も差している。見つけてはまずかったのだろうか? 早苗は不安に捕らわれつつも駆け寄って、つとめて愛想よく、
「あけましておめでとうございます」と頭を下げた。
「あら、あけましておめでとう。新年から元気そうね」
 そういう霊夢の声に毒はない。少し肩の力が抜ける。
「どうしたんですか、その大荷物」
「ちょっとね。さしずめ初荷ってところ。さすがに重くて、ずっとは飛んでられないのよ」
「中には何が?」
「ん、机とか、小棚とか、いろいろ什器類」
「へ。そんなもの、どうするんです」
 意外な答えで目を白黒させる早苗に、
「固定資産を圧縮して流動比率を高めるのよ」
 と霊夢はからかうように言う。早苗はその言葉の意味を考えながら、気持ちを落ち着かせて、
「……つまり質屋ですね?」呆れたように言った。
「ご名答」
 霊夢は立って、ゆっくりと浮きあがりはじめた。そうして、
「でも霊夢さん、それは……」
 と早苗が心配そうに追いすがるのを、
「そろそろ回復したし、寒いからもう行っていい?」
 とさえぎった。伸ばしかけた早苗の手がだらりと降りる。
「また神社で会いましょ。お正月はいつでも遊びに来ていいから。それじゃ、またね」

***

「――と、そんな痛ましい一幕を年始から目撃してしまった私の感じやすい心はあんまりにも深く鋭く傷つきました!」
 朝よりはずっと暖かくなったお昼前。ぐうぜん守矢神社を訪れた霧雨魔理沙に息巻いて、早苗は自慢の黒檀の机を両の平手で思いっきり叩いた。そうだ、博麗神社にはもはやこうして叩く机もないに違いない。そう思えばなおなお胸がきゅうっとするのである。あんな粗末な格好で寒々荷物を背負いながら、険しい山道を行かねばならないかわいそうな霊夢さん。それに「いつでも遊びに来ていいから」――社交辞令のあいさつとはいえ、別れ際には家具もない部屋に親友を招かねばならないこの切なさ、どんなにかつらかったことだろう!
「ああ、なんとかならないんでしょうか」
 しかしこう早苗の一人熱く燃え上がる一方で、魔理沙の方は出されたスナックをつまみつつ「いつものことじゃないのか」という極めてそっけない態度であった。そして実際、いつものことなのである。ただ新年早々という時期柄が特別の悲哀を添えているに過ぎないという、魔理沙の冷徹な洞察は概ね正しかった。
「あいつは質屋なんか旧来のオトモダチだろ」
「でも! よりによって家具ですよ、家具! 贅沢品ならまだしも、文化人的な生活まで捨てるっていうんですか。ああ、そしてあのつらさを人に見せまいとする殊勝な後ろ姿。なんだか涙が出てきます」
「お前も大概なセンチメンタリストだな」
 魔理沙はからから笑う。それを早苗がきっと睨むと、
「まあ、私だったら家具なんかより、いい本さえあれば文化人的に満足だけどな」
 と本心らしいことを言って、誤魔化した。
「みんながみんな魔理沙さんじゃありませんよ」
「霊夢はどうなんだ」
「つらいに決まってます! だって、だってあそこは――こう言ってはなんですが、他に何もないじゃないですか。それで今年いっぱいどうするっていうんです。まだ三が日が過ぎたばかりだというのに……」
 はは、と反射的に笑いながらも、この言葉を聞いて、ふいに魔理沙は顔色を変えた。そうして、
「そんなふうに言われるなんて、確かにあいつはかわいそうだな」
 と簡単に雑ぜ返したかと思うと、俄かに口を噤んでしまった。
 何かを急に思い出したという様子で、壁掛けのカレンダーを見上げる。次第に表情が真面目なものになっていく。早苗は魔理沙の言葉にふくれながらも、その変化を不思議そうに見ていたが、やがてすぐ机に目を落とした。想いは霊夢の方へ戻ってしまったらしい。
 魔理沙も同じように目を伏せて、黒檀の艶やかなコーティングに自分の顔を映していた。
 しまったな、今日は一月四日じゃないか――と魔理沙はひそかに思案した。そうだ、霊夢がそんな状態だとすると、≪あの話≫は見込みが薄いかもしれない。時期が時期だけにひとり霊夢に頼りきりで、すっかり安心していたのである。そうそう容易に代わりも見つかりそうにない。
 何か手を打つ必要があるな、と心に独りごちて目を上げると、うなだれる早苗の姿が見えて、待てよと一策を案じてみる。案じてみるに、これは即席ながらなかなか出来がいい。僥倖だ。さっきまでの慌ただしい現実が、ネギを背負って脳裏に帰って来たのである。
「なあ」
 魔理沙はあたかも今だけ聖人になったつもりで、つづく言葉を慎重に整理しながら、声を繋いだ。
「私たちで、霊夢にお年玉をやらないか」
「お年玉ですか」早苗の視線が持ち上がる。
「そう、一万円……いや、三万円くらいさ」
 注意深く早苗の反応を伺いながら、魔理沙は意図した金額のオーダーを口にした。早苗は首を横に振る。
「現金はよくないでしょう。第一、受け取ってくれるとは思えません」
 それでもやはりこの提案は、彼女を少しだけ元気付けたらしい。顔色はさっきよりも明るくなっている。
「でも、現金じゃないと家具は戻らないだろう」
「それはそうですが……」
「そこでだ」魔理沙はここで、我に名案ありという顔をしてみせた。「あいつのところの賽銭箱を内緒で持ち出してさ、私たちでいっぱいにして返してやるっていうのは、どうだ」
 早苗はぽかんとして、言葉の意味を解するなり、「それは」とくすぐったそうな顔をした。食いついたな、と魔理沙は見て取った。エクセレント。
「でも、あんな重いもの――」
「萃香を使おう。あいつなら運べるだろう」
「なるほど……。魔理沙さん、これはいいアイデアかもしれません」
 すっかり血色もよくなって、活き活きとしてきた早苗の頭の中には、早くも計画の完璧な展開とハッピーエンドとが鮮明に描かれているらしい。心優しいふたりの親友が、住人たちの協力で見事満杯になった賽銭箱を、そっと元の場所へ置いていく、そんな小人たちの所業を目の当たりにして、ついに感涙する霊夢――。なんて素敵なんでしょう! 早苗は、憧れのヒーローを間近に見た少年のように目を輝かせた。魔理沙の慧眼極まりない読み通り、この筋書きは東風谷早苗の少々偏ったヒロイズムにぴったりだったのである。
「やりましょう!」
「おう」
 二人はがっちりと握手を交わす。一日限りのNPO『博麗霊夢にお年玉をあげる会』は今ここに結成された。ミッション・ステートメントは「お賽銭三万円」。
「汚れそうですし、着替えてから行きましょう」と早苗はもう居ても立ってもいられない。「魔理沙さんも一度着替えにもどりますか」
「いや、家には戻らないぜ。その代わりちょっとアリスの家に寄らせてくれ」
「アリスさんの?」
「ああ、年末から家に帰ってないんだ。ずっとあいつの家に泊まってるもんでな」
「……あなたも大概な放蕩娘ですね」
「貧乏人と感傷家と放蕩娘か。碌でも無いやつばっかりだな」
 もっともとりわけ碌でも無いのは自分だろう、と魔理沙は内心思った。思って、笑い飛ばした。
「さあ、早く行こうぜ」

***

 「賽」とは、神から受けた福に報いるという意味である。賽銭とはその福に「銭」すなわち銭貨をもって報謝する行為に他ならない。ところで我々は神からのみならず、神社の殊勝なる巫女・博麗霊夢からも多大な直接的献身を受けてきたはずだ。ならばその恩を、いまこそささやかな銭で少しばかり彼女に還元しようではないか――正月の平和な市井に突如として現れた、賽銭箱を携えて練り歩く二人組の非営利市民団体が掲げたプロパガンダは、大体こんなところであった。
 賽銭箱は、霊夢の出かけた隙を見計らってこっそり盗み出して来たものだ。それ自体が罰当たりな行為ではないかという懸念には、いざとなったらこちらには現人神もいることだしという杜撰なコンティンジェンシープランがあてがわれた。またその際に行われた三人目・伊吹萃香の加入面接も「来たら里で酒とまんじゅう買ってやるぞ」「行く」という極めて短いものであった。役職は賽銭箱の運搬業務。小さな萃香が数十人、下側に潜り込んで車輪代わりとなり、東へ西へ賽銭箱を運んでいるのである。
 そう、萃香がちょこちょこと賽銭箱を運び、早苗が人々にやんわりと趣旨を説明し、魔理沙は厄介な知り合いにことがばれないよう哨戒に出る。この三人体制の連携は、なるほど目的達成のための人的資源配分の最適化という点から見れば、即席ながらたいしたものだった。感触は上々である。活動は軌道に乗って行く。
『博麗霊夢にお年玉を!』
 就中、賽銭箱をまるごと持ち出したのは正解だった。妙な箱だけ抱えて金を募れば詐欺紛いの募金団体と変わりなくなってしまうが、「博麗神社」の文字入りの、皆なんとなくは見覚えのある本物の賽銭箱を見れば、早苗の説く趣旨を理解する人も、そうでない人も、何かの行事かと勘違いする人も、ただ見かけただけの人たちも、とりあえず端金くらいは入れてくれるのである。人だかりができればいつか投げ銭がはじまって、すっかり出張神社の体裁だ。賽銭箱は時の経つにつれて、弥が上にも重くなっていった。
「早苗、お前サラミ法って知ってるか」
「なんですか。ソーセージ?」
「そうそう。そのソーセージを、一本まるごと盗んだらばれるけどさ、たくさんあるやつの端っこをうすーく切って集めて一本分盗んでも、誰も気がつかないだろ? そういう、ちょっとずつ物品を掠めて行く窃盗術を、サラミ法って言うのさ」
「へえ。でも、どうしてそれを?」
「や、なんか、それみたいだと思ってな」
「魔理沙さん、私たちのは窃盗なんかじゃありません!」
「わかってるよ。堅いやつだなぁ」
「なあなあ、サラミもソーセージもいいけど、早く酒買ってくれよぅ」
「おっと、そうだったな。じゃあ早苗、よろしく」
「まったくもう」
 博麗神社一円をぐるりと大きくまわって帰ってくると、思っていたよりずっと多くのお賽銭が集まった。そろそろ萃香たちも支えきれなくなりそうなほど、賽銭箱は硬貨でいっぱいに埋め尽くされている。
「みんな霊夢さんのことが大好きなんですね」と早苗は感慨深そうに言った。「なんだか素敵じゃありませんか」
「そうだなぁ」
 魔理沙はひょいと箱の中を覗き込んだ。つやつやと銀に輝く一円玉、重たい金色の神々しい五円玉、年季の入った銅褐色の十円玉。五十円や百円もちらほら見える。ありがとう、ありがとうと声が聞こえてきそうな銭の海だ。
「これなら全部あわせて三万円はあるだろうな」
 それは、ちょうどいま彼女が必要としている額に等しかった。魔理沙もまた、早苗に劣らずやりきった気分であった。

***

「あんたたち、何してるの?」
「霊夢!」「霊夢さん!」
 その日はじめての想定外は、最後の最後にやってきた。
 長い石段がいけなかったのだ。すっかりへばってしまった萃香を助けて、賽銭箱を降ろすのに一苦労しているまさにその時、突然の霊夢の帰還によって、≪そっと元の場所へ置いていく≫という計画のクライマックスは失敗に終わったのだった。
「見つかっちゃいましたね」
「惜しかったな」
 仕方なく二人はいきさつを話す。もちろん、話しても差し支えない程度に脚色してである。同情から出た行動というニュアンスはひた隠し、どちらかといえばサプライズイベントという意味合いを強調した。
「それで、萃香さんに手伝ってもらって――」
 ところでいちばん「小人の所業」にこだわっていた早苗にそれほど落胆がないのは、どうやら自分の頑張りがまったく闇に葬られるのはやはり未練がましい、どうせならわかりやすい形で感謝されたいという子供っぽい思いであって、このあたりまだまだヒーローにはなりきれぬ器なのであった。
「というわけで、みんなからのお年玉だぜ」
「これですぐにでもいつもの暮らしを取り戻してくださいね!」
「ありがとう。嬉しいわ」霊夢は満杯の賽銭箱を見やって微笑する。
 思ったより淡白ですね、と魔理沙を振り返る早苗の顔に、まあこんなもんさ、という魔理沙の顔。しかし本当のところ、魔理沙はそれどころではなかった。今だ、今切り出さなければだめだ。顔を上げて、帽子のつばをきゅっと僅かに下へ降ろして、声を出す。
「それで、悪いんだが霊夢、このお年玉さ……」
「そうそう、魔理沙。はい、これ」
 勇気ある切り出しを一蹴したのは、霊夢の差し出した封筒であった。
「今日でしょ? 例の」
「お……おお、助かるぜ!」
 魔理沙は茶色のそれを握りしめて、ぱあっと顔を明るくした。予想外のことだった。その場で封筒から三枚の一万円札を取り出すと、愛しそうに指先を触れて、ふたたび中にしまい込んだ。そうして忙しなく箒にまたがり、
「それじゃあ急いで行ってくる!」
 と言うなり、東の方目指してまっすぐに飛んでいったのだった。
「どうしたんですか、魔理沙さん、あんな急に」
 早苗はその背中を目で追って、ぽかんとしている。
「今日が毎年恒例の、新年古本市なんですって。それで、なんとかしてそれまでに三万円つくってほしいって、年末に頼まれてたのよ」
 霊夢のこの言葉に、早苗はハッとした。
「もしかして、今朝の家具はそのために?」
「そうよ。重かったったらありゃしない」
「魔理沙さんったら……」
「でもこれ、助かるわ。今年は初詣のあてが外れて、ちょっと大変だったから」
「えへへ、そんな」
「差し当たり必要なものでも買わせてもらうわね。萃香、悪いけど明日もよろしく……あら、いない?」
「つかれて奥で寝ちゃったみたいですね」
「あの子にも明日、お礼しないとね」
「ええ、いちばん頑張りました。それにしても霊夢さん、そういうことならそうと事前に言ってくれれば、私が魔理沙さんに貸してあげられたのに」
「早苗」霊夢は厳しい声を出して、首を横に振った。「ダメよ、軽々に。あんなやつにお金なんか貸したら、一生返ってなんか来ないんだから」
「え、でも霊夢さんも……」
「とにかく、寒いから中に入りましょ。お茶でも飲んで行って」
 霊夢はくるりと踵を返す。早苗は釈然としないまま随いて行き、招かれたいつもの客間に足を踏み入れると、目をぱちくりとした。
「……あれ?」
 そうして東風谷早苗は、ようやくすべてを理解したのである。

***

 夜。箒の前に縛った本の山をぶらさげて、霧雨魔理沙は念願の古本市からほくほくとして帰ってきた。帰ってきたは久々の我が家である。またアリスの家へ戻るにしても、大切な戦利品だけはここへ置いていかなければならない。
 箒から降りて着地すると、脚がかくんとなった。思ったよりも身体が疲れている。お年玉騒動の疲労が大きいのだろう――結局あれも霊夢に金が用意出来ていた以上、とくに必要はなかったな、と魔理沙は思った。
 骨折り損と言えば骨折り損だ。けれども無駄とは言うまい。おかげで金をつくるということがどれだけたいへんなことか、あらためて身に染みたのだ。それだって早苗と萃香の協力と博麗神社の看板あってこそ、あの程度で済んだのである。三万円は大金だ。霊夢にもらった封筒を取り出して見ながら、魔理沙はつくづく反省した。
 しかし反省しながらも、返済のことはと言えば、まるで頭にないのであった。それはそれ、これはこれである。踏み倒す気まではないにしろ、お互い忘れてしまうまで借りておくつもりはないとは言えない。こと貸し借りの問題において、霧雨魔理沙は決して急ぐような性格ではないのだ。
「こういうことは、ゆっくり考えればいいのさ」
 もっとも他でもないこの自分に貸すのだ、霊夢だってそれくらい承知の上だろう、と魔理沙は思った。たしかに碌でもない放蕩娘だな、とも思った。思って、にやりとする。そんな自分が大好きなのだ。なんて素晴らしい年明けだろう! 魔理沙は鼻歌混じりで気分良く、家のドアを蹴飛ばした。
「……お?」
 足が止まる。家の主を出迎えたのは、中から吹き抜ける冷たい風だった。そして、予想だにしない光景――。
 敷居も越えず、がらんとした我が家を前に立ち尽くした。一瞬、体から力が抜けた。膝をついて、取り落とした封筒から、するりと一枚の便箋が滑り落ちた。魔理沙の目に、霊夢の綺麗な字が飛び込んでくる。

 魔理沙へ
 なんとしても四日までに三万円つくってほしいとのことだったので、とりあえずあんたのところのいらなそうな家具を質に入れておきました。あんたは古本の方が大切でしょ? 端数は手間賃としていただきます。
 取引詳細と質屋の場所は下記を参照、質流れは二ヶ月とのこと。早めに返済しなさいね。以上。
(2010年01月04日 「東方創想話 作品集その95」にて公開)

Zip版あとがき

返すあてなんてないぜ。

Shiraha.Zip