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議論になる。多様な意見に振りまわされて、あれも立てたいこれも立てたいで一向収まりがつかなくなる。そのうち問題が複雑になってきたのをいいことに、めいめいが都合のいい法螺を吹き合い始める。やがてそれにも居心地の悪くなった面々が囁き出す。もうやめよう、堂々巡りだ、水かけ論だ。▼このような結末ほど情けないものはないが、現実にはしばしば生じる事態である。大抵の場合、扱う問題を正しく構造化できていないことが原因だ。構造化されていない問題では、言説の軽重を量る「ものさし」が無いため、何もかもが気になる。病理と症状を、大事と瑣末を見極められない。そうして混乱の挙句、価値観の相違などという見当違いな諦観に縋りつくことになる。▼「鶏と卵」の問題でさえ、正しく議論すれば実りある終着には辿り着く。堂々巡りになるかどうかは、プレイヤー達の手腕次第だ。宿命的に循環に陥る議題など、本来そうたくさんありはしないのである。
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