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小説は「小人之説」で、取るに足らないくだらぬもの、大人がそんなものをいつまでも読んでいるのは恥ずかしいコト……といつまでも中国由来の原義を引きずった小説無用論の展開には待ったをかけたい。時代が変われば、言葉の意味も役割も変わる。▼昔は「君子之説」でよかった。生活原理は全て優秀な実行規範である「君子之説」から演繹してくれば人生それでこと足りた。しかし近代以降、価値観が多様化し、原理の構築は極めてプライベートなものに変わって行った。となればもう誰も「君子之説」などには耳を貸さぬ。小人が披歴しあう「小人之説」から、めいめいが原理めいたものを帰納するしかなくなっていく。▼今の時代、「君子之説」はおろか、指導的な小説などというものさえ考えにくい。皆小説を、さながら自分の人生を組み立てるAPIのように見始めている。そうして取っても取らなくても何か足りぬと感じながら、見限ったり奉ったりしているのである。
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