400
Post/Edit Page
「新聞紙の意図は科学の建設ではなく、社会人の感覚の建設である。従って新聞的知識は科学的知識と異って、それが社会的感覚を又社会的情操をいかに刺戟し、社会人的交渉にいかに影響するかを顧慮し、いかに社会的秩序と安寧と更に社会的儀礼と体裁と、そんなものにまで影響するかも顧慮せねばならぬのである。」▼長谷川如是閑の言うこの≪理想的な新聞≫の然るべき機能とは、言わば社会的平衡感覚の陶冶である。ところで昨今いよいよ加速する新聞の駆逐は、必ずしもこの機能が他のメディアに移転することを意味しない。ネットメディアはあくまで氾濫である。▼長谷川氏がこの文章を掲載したのは、ちょうど人々の社会的価値観という幻想が砕かれたことの云々された時代であった。しかし道標がなくなっても依然として行こうとするところには行けたのである。いま失われようとしているのは平衡感覚だ。いよいよさ迷うの感が強くなる。我々の足取りが心配になる。
pass:
Draft