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「私たちはここで新鮮な魚を売っています」自分の店を開いたある青年は、看板にこう書いた。父が言った。「『私たちは』はいらないだろう。」看板は「ここで新鮮な魚を売っています」となった。兄が言った。「『ここで』も蛇足じゃないか。」看板は「新鮮な魚を売っています」となった。姉が言った。「売っているのは当たり前じゃないかしら。」看板は「新鮮な魚」となった。隣人が立ち寄って言った。「魚が本当に新鮮かどうかは見ればわかるよ。わざわざ『新鮮な』とつけるとなにか弁解がましいね」こうして看板にはただ「魚」と書かれた。休憩を終えて店に帰ってくるとき、青年はかなり遠くからでも匂いだけで魚を認識できることに気づいた。そうしてついに、「魚」という文字さえ必要なかったことを知ったのである。▼この「フィッシュ・ストーリー」は、表現の手段として言葉や文章が時にどれだけ冗長でありうるかを示すエピソードとして、印象的で面白い。
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