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自分の作品を飽きもせず見たり聞いたり読んだりしているとき、私は別に、つくづくそれがいいものだと思って鑑賞しているわけではない。ただ他人の作品からは得られない不思議な気持ちがあるのだ。ポール・ヴァレリーはこんなことを言っている。「自分の作品を眺めている作者とは、ある時は家鴨を孵した白鳥、ある時は、白鳥を孵した家鴨。」たしかに私はいつもこんなふうに自分の作品を眺めている。▼創作という行為の面白さは、慣れないことをやってのけた結果のあたりまえな不連続にある。物を作りつづけるとは、家鴨を発見してあっけに取られる、その感覚の延長をひたすら重ねていくことだ。小林秀雄は言う。「家鴨は家鴨の子しか孵せないという仮説の下に、人と作品との因果的連続を説く評家達の仕事は、到底作品生成の秘儀に触れ得まい。」それでも人は飽きもせず、いつでも白鳥や家鴨を品評している。この肌の白さは、いやこの風変わりな顔付きが、云々。
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