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「小説は日常の雑談にもひとしきものなり。どういふ話が雑談なるや雑談は如何にしてなすべきものなりやと問はれなば誰しも返事にこまるべし。」返事にこまるべし。たしかに困る。どうやって雑談すべきかなんて、そんな作法があるとは到底思われない。しかしそれなら小説だって同じことだ、と永井荷風は言う。小説の巧拙論がどこまでいっても堂々巡りを出ないのも、このあたりに根がある。▼なにを、いつ、どこで、どんなふうに。雑談には様々な要因がある。そういう環境の中で聴くものが雑談である。雄弁に語るのがいいか、滔々としゃべるのがいいか、それはひとつのハウに過ぎない。題材と場の機嫌を取り損なえば、どんなに巧みな話術もついには観客の失笑に終るだろう。環境、背後。その機微を知るのは難しい。難しいから、文は人なり哲学が幅を利かせてくるのだ。「談話の善悪上品下品下手上手はその人に在り。学ぶも得易からず。小説の道亦斯くの如きか。」
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