400
Post/Edit Page
「われわれには自分の生涯というものが、過去においても、可能な未来においても、どんなにそれを引きのばしてみても、非常に短く思われる。……しかし現実では、ただの一日も、ただの一時間も、どんなに長いことだろう! この違いはどこから来るのか?」フォイエルバッハはこんな疑問を呈している。▼答えはこんなところだろう。即ち、意識の作用のないところでは時間は長さや量として機能しない。想像する時間が短く、体験する時間が長いのは、表象の中での時間は量ではなく「はじめと終わりの二点」を表す記号に過ぎないからである。▼現実の生涯は充実した時間だ。それは持続として感じられる時間である。「今」という意識すべき対象があるから、時間は持続になるのだ。そこには「あらゆる種類の困難の山が今と別の地点との中間によこたわっている。」そういうもののない生活は、宇宙を何億年という単位で表現するときと同じように空虚なものになるだろう。
pass:
Draft