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表現の自由はつまるところ程度問題に過ぎない、という立場に立って考えると、では程度とは何をものさしに言うのか、となる。ものさしのないところに程度はないからだ。ところで表現のものさしとはなんだろうか。ことに最近話題になっている非実在青少年にまつわる不健全な表現について、程度問題の程度をどう考えればいいのだろう。何なら、どこまでなら、許されるかの前に、巻尺はなんだというのが気になるのである。▼文学の歴史においてもエロティシズムの行き過ぎが取り沙汰されたことは往々にしてあった。文壇が瓦解し、週刊誌の興隆とともに文学が大衆化した戦後などは、特にその氾濫が嘆かれた。槍玉に挙げられたのは、主に品性とユーモアの不足である。不健全な表現のものさしにそれらの言葉が選ばれたわけだ。この過去の議論から”品性”と”ユーモア”いう言葉だけ持ち帰り、もういちど現代を考えてみたい。何かひとつ新しい見方ができるかもしれぬ。
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