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司馬光曰く、子を養いて教えざるは父の過ちなり、訓導の厳ならざるは師の怠りなり。父は主として師を択び、師は主として教導す。二者兼ねて尽くすとき、努めてこれを学ぶは子の責なり。」▼たいへん理想的な教育環境に見える。昔の人々はきっとこうした教育のガイドラインを忠実に守り、日々師弟の育成に尽力していたのだろう、と詩韻に浸りつつ考えてしまうわけだが、そこでもう一歩考えを進めてみると、はてなと思う。こういう訓戒の詩が詩人に詠まれて残る世界、みんながみんなそうしていたら何も心に響くところはあるまい。要するに、昔だってそんなことは出来てなかったんじゃないか。▼詩文の末に曰く、こうして子が学問に励まなければならないのは「科挙に合格して名を挙げ、良家の美女を嫁にするため」だそうだ。当時の社会に照らしてみれば致し方ないとはその通りだが、言辞の立派さに引きかえ何だか脱力する思いもある。美しき過去の幻想ここにあり。
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