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「的な」という方法で名詞から形容詞がほとんど自由に創りだせることは、現代日本語の強みでもあり、弱みでもある。しかしその成立の経緯や利便性を云々する以前に、私がいつも残念に思うのは、「的な」でつくられた形容詞+名詞の言葉が、英語のal接尾辞に比べて美しくないことだ。拙い邦訳本でしばしば乱用され、文章の読みやすさを著しく欠いている。▼「何とか的な何とか」という言い回しは大抵イマジネーションを欠く。理由は知らないが、思うに名詞がなにひとつ形を変えないので、堅いニュアンスが引き継がれて説明的な形容になるからではないだろうか。たとえばフーガを相方の調性的な応答と見るか、"tonal answer"と見るかのあいだには、本質的な違いは無くても膨らんでいくイメージに差異がある。調性という言葉の堅さを浮かべたところへ「的な」とぼかされてしまうところに、tonalという言葉の新たな感触ほど想像力を刺激するものがないのだと思う。
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