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エドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』を読んだとき、形式主導型の文学批評にもやりようはいろいろあるものだなあと感心した覚えがある。▼W・B・イェイツ、ポール・ヴァレリー、T・S・エリオット、マルセル・プルースト、ジェイムズ・ジョイス……こういう十九世紀末ないし二十世紀頭の”定番”な面々を各章の主題に連ね、第一章に「象徴主義」と掲げる本書は紛うことなく象徴主義文学論なのだが、何々主義を総括すると銘打つ批評にありがちな、主義という「鋳型」への嵌めこみ感がほとんんどない。作品内容を支える経験への考察、観察眼と文章表現のあいだに働く力学の分析、そうした批評の詳細が、かえって各人の個性と象徴主義と呼ばれる何物かとの乖離と相違を浮き彫りにしていく。そういう事態を良しとしている。象徴主義がまさに完結しようとしているき、「やはり象徴主義という人物はいなかった」ことを改めて確かめたような小気味良さがある。
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