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主人公の複雑な心情を描いているときは、筆も乗り気合も入り、真実味も諧謔もあるような深く味わいのある一節を書ける人が、ちょい役の描写に思いもよらぬ躓き方をしていることがある。文章は巧いのに、読んでいてあまりに退屈で平板なのだ。作者はちょい役も風景のひとつと思ってさらりと書いているつもりなのだろうが、このさらりというこなれた器用さが、恐らく毒である。▼手腕に優れた作者は、しばしば主人公より器用に物を見てしまう。器用に見て、器用にそれを書く。そうして読者が真に知りたいこと――主人公が何を目に止め何を見過ごすかという選択の情報――は見捨てられてしまう。しかし読者はその選択にこそ主人公の特別な経歴や環境、性格、心理を見るのであり、そもそも見せるためにちょい役が要るのではなかったか。主人公が物を見るに愚であれば、作者もまた愚に見て愚に書かねばならないときがある。世界の下手な眺め方も知る必要があるのだ。
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