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小林秀雄の「物のあはれの説について」より「あしわけ小舟」で本居宣長が詠歌の意義について論じているところ、考えさせられる一節があった。長いので適度にまとめて晒したい。▼詠歌の第一義は心を鎮めて妄念を払うことにある。しかしこの心を鎮めるというのがそう簡単ではない。鎮めようと思う端から妄念が起こり心は散乱していくばかりだ。だから、妄念を退けてのち案じにかかるのではなく、妄念は起こるに任せて差し置き、歌の題や趣向の拠り所、辞の端や縁語など、少しでも手がかりらしいところに手をかけ、心のうちに浮かべておけば、次第によく物が考えられるようになっていくのだ。▼「歌といふ物は、程よくとゝのひて、あやあるをいふ也。」言葉は心の動きに秩序を与える。そのまま放置すれば散乱して妄念となる情は、言辞に救われ歌となる。「情詞につきて、少しの手がかり出来なば、それにつきて案じゆけば、をのづから心は定まるものとしるべし。」
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