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「私は、壺というものが好きである。人間が泥を捏ねて、火で焼く工夫を始めた時、壺を作ってみて初めて安心したに違いないと言った感じを与えてくれるからである。皿でも茶碗でも徳利でも、皆、実は壺に作られて安心したかったと言っている風がある。どうも、焼き物の姿というものは、中身は何んでもよい、酒でも種子でも骨でもよい、ともかく物を大切に入れて蓄えるという用を買って出たところに、一番、物に動じない姿を現すようである。」▼私は焼き物になどまるで不案内だが、この小林秀雄の感慨はよくわかる気がする。昔、我が家にも巨大な壺があった。子供の小さな手で叩くとずっしりと重い感触がして、低い音が鳴る、その手応えに妙な安心を覚えたものである。箱でも球体でもないあの独特の形状が持つ安定感。重力を受け止め、蓄えて、立つという機能をいちばんよく視覚化しているフォルムが、見るもの触るものに重さ以上の重さを感じさせるのだと思う。
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