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福沢諭吉が面白いことを言っていたので、小林秀雄「福沢諭吉」から引きたい。曰く、人間品性の不徳を現す言葉の多くは、見方を変えればすぐに徳を現す言葉にもなる。たとえば「「驕傲」は「勇敢」に、「粗野」は「率直」に、「固陋」は「実着」に、「浮薄」は「穎敏」に、という具合に切りがない。ところが、絶対的に不徳を現して徳には転じないものが一つある。それが「怨望」という言葉である。」▼「「詐欺」とか「虚言」とか言われるものも、ずい分根本的な不徳を現しているように思われているが、よく考えてみると、詐欺も虚言も怨望から生ずる結果であって、怨望の原因となるほど根底的なものではない。実に「怨望は衆悪の母」であり、その「働の素質に於て全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘はらずして不善の不善なる者」と福沢は主張する。何故か。彼は、一言で片付ける。「ただ窮の一事」にある、と。」怨望家の不平は満たされることを知らぬ。
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