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売るために書くのか、ただ楽しみのために書くのか。「金のために書くなどという動機は芸術に似つかわしくない不純だ」とある人は言う。「金のために書いたことがなければ執筆の真剣味などわからない」とある人は言う。決着をつけるつもりはないのだろう、まるで言い合うことが目的かのように、なんどでも繰り返されて来た議論だが、中にはこんな格言も存在する。「文学は商売と芸術とが半々であるときに最も栄える。」▼ヴァレリーは『文学論』でこう説いた。「文学は興味・教訓、それに説教とか宣伝、自分のための修練、他への刺激との間を往来する。」往来する、というところが味噌である。すべてないまぜにした複合品であるとは言っていない。文学に志していると、あるときふいに「自分は畢竟このために書いているんだ」というひとつの究極を定めたくなるものだ。その究極は、金にもなれば叫びにもなる。そう変わりつづけるのが文学である、というのである。
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