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「僕の批評文は、今まで主観的、独断的、心理的、非合理的等々様々な形容詞を冠せられた。形容詞である限り、恐らくどれも当たっているのだろうと思う。ただ自分に確かな事は、いつも僕は同じところに止まっている、何処かに出掛けて行っても直ぐ同じところに舞い戻って来る事だ。同じところとは批評が即ち自己証明になる、その逆もまた真、というそういう場所だ。」▼批評方法など全ては批評家の纏う意匠に過ぎぬ。小林秀雄はそういう態度で批評文を、批評的雑文を書きつづけてきた。雑文というのは謙遜して言うのではない。本当に雑文であると信じているのだ。意匠を脱いだ批評文が、雑文でないはずがない。彼は、自分の系譜がどんな形容詞でも修飾できるような批評的雑文に満ちていることを確認して安心している。そして、その逆もまた真――批評を通じてしか現せない自己があり、自己証明とは批評そのもの――この境地に至れば、何々家もこれ以上あるまい。
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