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達人、という言葉がある。職人技を極めた人間のことだ。たとえば鍛冶の達人になりたいとする。どうすればよいかと尋ねたら、達人はなんと答えるだろう。哲学的な心構えを説くか。実践的なアドバイスをするか。いずれにしても、達人になる方法を明確に言語化することはできそうにない。▼しかし、言語で表せないことが出来るから達人なのだと考えたとき、私はひとつ、見逃していることに気がついた。達人プログラマになる方法は、かなり言語化されている。言語化されているが、なりがたさは職人と変わらない。あまりにもやるべきことが多いからだ。しかもそれらを「当然のように行い」「よりよい策を不断に考えつづけ」なければならない。気が遠くなる。▼言語化できたところで、事情は変わらないのだ。鍛冶の達人も、プログラマの達人と同じように、心の持ちようから筋肉ひとつひとつの動きまで、言語化は可能だが膨大な処理をこなしている。故に、達人である。
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