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「退屈な男になる簡単な方法は、なにもかも喋ることだ。」出典は忘れたが、こんな言葉がある。「秘すれば花」に通じる理屈だ。あれもこれも喋ればその場は愉快になるが、その分だけ自分は退屈な男になる――まるで愉快さが消費されるものであるかのような考え方だが、不思議と座りは悪くない。前の彼氏と別れた理由を「話が底をついたみたいだから」と呆れ顔で零していた研究室時代の秘書のお姉さんを思い出す。▼その基準に照らせば、私は喋りすぎである。日記まがいの記事のみならず、放送まで始めて語る内容はさらに増えた。毎日「退屈な男」に近づいているわけだ。もちろん、それは我慢ならない。だから、愉快資源の枯渇から逃れようとして次々と新しいものに手を伸ばす――さて、我が身の喋りたがりと知りたがりをこんなふうに評してみて、なかなか大胆な考察いかがかしらと誰にともなく誇るのである。にわか自己分析というやつだ。部屋には問う鏡もない。
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