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イゴール・ストラヴィンスキー曰く「私にとって作曲とは、特定の音程関係に従って、特定の数の音を順に並べることである。」もちろんそれは機械的に配置されるものではないだろう。規則が芸術を創るわけではない。並べ方の主体性こそが全てなのだ。作曲とは時間の組織化である。少なくとも、組織化のための青写真を提供する行為である。<自動作曲>という概念は、原理的に可能かどうかという以前に、根本的な動機を欠いている点が気持ち悪い。▼しかし、大真面目に考えると、<感情を表現する技術>という言葉も同じくらい気持ち悪いと私は思う。こうすべし。ああすべし。芸術の能書きが受け継いでいるのは、たいていの場合<感情を隠蔽する技術>ではないのだろうか。自分を表現したい心が、いつの間にか自分を偽るための技術を探して彷徨っているのではないか。そうして幾千の修辞法を極め、巧みな弁舌で人を泣かそうとする。ただ素直に吼えればいいものを。
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