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このごろ「Whatの消失」ということをよく考える。人びとは何を大切に思っているのだろう、と考えて、いろんな方面から考え詰めていくと、別々の出発点からしばしばここに辿り着くのである。そんなに哲学的な話ではない。つまり、何が、何を、という情報の価値が昔に比べて、明確に言えば”ゼロ年代”に比べて、下落しているという感触だ。コンテンツよりもラッピングという嘆きも、恐らくはここに含まれている。▼音楽の例だけ書き留めておこう。端的に記述すれば「何が鳴っているか<どんなふうに鳴っているか」ということになるだろうか。エレクトロニカとMIDIを経て、今や誰しも、チープな音でなる素晴らしい譜面には飽きてしまった。小さな電子箱からいつでもどこでも聴こえてくる音列情報なんてうんざりだ。それよりは、きれいな音色を、感動的な残響を、圧倒的な音量を、音楽の<体験>を――求めて、いま、ライブや生演奏はふたたび脚光の元にある。
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