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最近、脱サラという単語を別の場所で二度聞いた。ノマドやフリーターではなく脱サラという古めの言葉になっているあたり、昭和的な社畜文化に反抗したいだけの無計画な解放勢力が萎んできて、より地に足のついた独立の話題が増えてきたのかなと思う。ゼロ年代には、独立してからやりたいことを考えるような起業家も山ほどいた。彼らは意地でも自分の選択を「脱サラ」とは呼ばなかっただろう。▼私に脱サラする気は全くない。少なくとも、今はまだない。仕事にやりがいがあり、仲間に恵まれていて、職場環境に不満が少ないのも理由のひとつだが、もっと重要なこととして、脱サラしたところで飯のタネにできるような技術がない。ふと考えてみるに残念なことだ。いくら社会人が、父親が、忙しいとはいえ、組織に属さないひとりの人間としての社会的価値の向上を怠ってきたのは大いに反省すべきである。▼勉強欲は頂点に達している。学びたいことが山のようにある。
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