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極限まで多様性を認めようとする方針は、他人にも同じスタンスを要求する社会的運動になると運命的に行き詰まる。あらゆる思想を認めると標榜する以上、最後には「多様性を断固認めない人々」の存在も認めなければならないからだ。不完全性定理みたいな話である。▼無論、「断固認めない人々」までの間には、多様性に対してさまざまレベルの許容度を持つ人々が連続的に存在する。故に、究極を諦めたとしても、今度は「どこまでなら認めるのか」問題が浮上する。どうあれ、どこかで敵か味方かの線引きをしなければならない。だが、その線引きの行為こそ、多様性を認めない人たちが常に行っている対立構造の明確化である。普遍化運動のはずが、結局は敵と味方を寄り分ける小さな紛争の一形態に回収されてしまうわけだ。▼多様性にまつわる議論は、このジレンマをまだ超えられていないように見える。超えられていないからこそ、常にしらけた空気がつきまとうのだ。
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