2007年02月13日

●小説作法について

汎用性のある話題(のような気がする)ので、せっかくだからここにも記そうと思うも手頃なカテゴリーが見つからなかった。故に、ここ「クリエイションノート」の記念すべき(?)一頁を開放することになったというわけである。

LunaScape(ブラウザ)のお気に入りバーに「ライブラリ」というフォルダを作っている。その中にさらに「資料」というサブフォルダがあるのだが、これは様々なオンライン辞典やテーマ別研究、考察まとめサイトなどを格納したものだ。小説作法の研究や文章系の技術解説のサイトも、巡回先でなければこのフォルダにリストされている。今日はたまたま、これらの文章作法を扱うサイトを一巡していた。

端的に言って「小説作法」にはまどろっこしいものがおおい。大手サイトになればなるほど、その項目数は目眩くものがある。「キャラクターの作り方」「世界観の設定」「主人公を書くには」「悪役の種類について」「プロットの作り方」「タイトルの付け方」「リアリティの大切さ」「ユーモアのコツ」「おもしろいギャグの作り方」「効果的なネタ出しの方法」……。挙げていけばキリがない。さて、果たしてこれらはすべて熟読吟味に値するものだろうか。

サイトもさることながら、立ち読みも含めれば相当数の「小説作法」系の本を読んだと自負する立場としては、このあたりでこの問いに否と結論付けたい。唯一熟読する意味があるとすれば、この否という結論に達するために、というより他にないだろうと思う。
そう言うからには当然何故かを説明する義務があるが、いまはその理由を述べるより、代わりに価値のあると思われる限定された行為を列挙して、各々に現時点での考察を付しておくだけにとどめたい。

・師を見つけ定めること
何事に於いても、師がいなければ上達はなかなか望めない。しかしこのことは、小説作法に於いては随分と軽視されている気がする。実際、上に挙げたような夥しい「作法」の数々など、この定めし師匠に全て習えば済むことではないだろうか。
キャラクター、文体、構成、作風。とにもかくにも、愚直に師を真似ればよい。個性が不在だという指摘には当たらないだろう。そもそも個性とは誰かを真似て真似て真似し尽くして、それでもそこにどうしても真似しきれぬ部分が生じたときにはじめて明らかになるものだからである。(むしろ経験上、こういう必死な「真似」をしたことのない人がオリジナリティーなどというときには、決まってそこにはオリジナリティーなど欠片もないものである。)
歴史を紐解いて見ても、古代から現代に至るまで、実に多くの作家がその修行時代において最もためになった修練は「好きな作家の小説を写すこと」であると言っているのは、満更根拠のないことではない。

・語るべき物語を有していること
これは小説というものを書く以上、前提以前の大前提なのではないか、と私には思われる。ストーリーの「創作法」という言葉ほど奇妙に聞こえるものはない。語るべき物語を有しているからこそ語りたいのであって、それを持たない者が何を語ろうというのか。「創作法」とやらに乗っ取って、即席で虚無から捻り出してきた何かを書く。これはどう考えても創作の本質ではない。
書きたいと思ってるものがないのに書こうとするのが間違っている、と一言で切り捨ててもよいところであるとは、納得していただけることと思う。

・哲学を持つこと
いかに先鋭的なデザインを凝らし、様々な機能を備え、耐震性に優れた家といえども、四方の柱がてんでんばらばらな素材で出来ている家はどこか不自然に感じる。例えそれが見た目に実質的な違いを与えなくとも、である。ましてそれが明らかになったときには、恐らくもう私たちはそれを自然な家として見ることさえできない。
観賞物としての庭も同様である。区分けの意図が全く成されていない、生い茂るに任せたままの庭は塀と家の隙間にある「草地」に過ぎないだろう。そこに無作為に選ばれた幾種かの種が、全くアトランダムに撒かれたら? 想像するに、不気味な庭ではないだろうか。
設計者の哲学の不在は、かくも被造物にちぐはぐな印象を添える。故に、「神は精神の場である」といったような神学的な理念から、「真の友達は幼い頃を共にしていなければ有り得ない」というような日常的な信念、「難しい漢字は極力避けて、平凡な言い回しをする」というスタイルに関わる決意でも、「幽霊に足はないが手はある」でも、「動物を虐めると祟りがある」でも、何でもいい、何らかのひとつの、小説そのものの中核を為す哲学があらかじめ著者に必要なのである。
これは純然たる持論であるだけに、単なる哲学愛好趣味として受け入れられないことも多いが、私としては(持論である以上当たり前だが)これも小説作法の本質をかなりの部分為していると考えたい。

以上、記念すべき第一頁であるが、一気呵成に書き終えて見れば随分堅い調子になってしまった。人に読んでもらう記事であるのだから、どう考えてももう少し読みやすい、柔らかい調子で書かなければならない。かといって口語体を使うのも、まとめの記事としては気が引けるというわけで、このあたりの按配は非常に苦心する。そのうち改善されることを楽観的に祈る。

この記事は創作修行の「軌跡」であるから、確実に真なることのみを綴ったものでも、熟考を重ねた小論文の類でもない。推敲もろくにしていないメモの如きものである。
加筆訂正が入る余地は大いにある。

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