2006年04月05日

●眠りと時間

自分自身がいつ眠りに落ちるか、その正確な時刻を知るために頑張っていても、大概の場合はいつの間にか眠りに落ちてしまい、起きたときにはもうそれがいつであったかを思い出すことは不可能になっている。就寝の瞬間の時刻を知ることは、実に困難な作業である。したがって普通、私たちは自分の睡眠時間を、明らかである起床時間から、明らかではない就寝時間を推定で取りその差分としているのだが、この睡眠時間という「時間」がどのような性質を持った時間なのか、少し考えてみたい。

私たちが睡眠時間に関して感覚的に感ずるところは、普段、起きている時に感じる時間の感覚とは随分異なっている。三時間弱しか寝ていなくても「随分長い間眠っていた」ように感じることもあれば、十時間以上寝ていても「あっという間だった」と感じることもあるだろう。或いはあまりにも疲労困憊して泥のように眠ったときなど、まるでタイムスリップしたかのように、一瞬にして眠りの瞬間から朝を迎えたように感じることさえある。この睡眠中独自の時間の感覚は何から生じるのだろうか。

私たちは普段、意識が明晰である間は、時間を「長さ」あるいは「量」として感ずる。これは言うなれば数学的な定義の仕方であり、感ずる、ということをもっと厳密に言えば、時間に注意を向けるときはいつでも、私たちは時間を「計測して」いる。計測といっても、正確に秒針を見つめている必要があるわけではない。ただ、私たちが普通「六十分」とか「一時間」と呼んでいる時間の感覚は、単に午前七時と午前八時という二点に注目したときの差分というだけではなく、午前七時から午前八時までの持続の感覚を確実に伴っている。
しかし、この持続の感覚はまさに私たちの意識によって感じられるのだから、意識の作用のないところでは、時間は長さや量として機能しないことになる。つまり、時間の数学的な計測、評価が失われるのである。こうして、睡眠中の半分以上意識を失った状態においては、時間は量としての性質を持たず、ただその数値だけを(意識とは無関係なところで)変えていく外的な何かに過ぎなくなる。そして、僅かに残った意識だけが、時間を計測しようとする。この時間に対する二相の解釈が混然としているために、睡眠中の時間は時によってその感覚的な長さを変えるのである。

さて、このことは同様に「死んだら永遠の暗闇を彷徨うことになるのか」といった問いの答えとしても妥当であろう。即ち、死んで意識を失ったものは、永遠という、数学的に無限大を指す時間の量を計測することは決してない。また、睡眠のときとは異なりそこに意識は欠片も残っていないのだから、もはやどんな僅かな持続も感じることはないはずである。とすれば、私たちが「いつから」「どこまで」存在しているのかといった問いにある程度決着も付けられよう。

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