2006年05月10日

●責任レベル

「技術倫理」の記事にいただいたひまじんのコメントへの応答も兼ねて、今回は責任の「レベル」ということについて考えていきます。

責任の取れる技術者に。それはそうでしょう、責任が取れなければ技術者云々である前に社会人としてアウトです。技術者に限らず社会人は全て責任の取れる人間でなくてはいけません。問題なのは責任の「レベル」です。
責任とは本来、裁判における判決のように「ある」か「ない」かの二者択一ではありません。責任にはレベルがあります。故意であったのか、過失であったのか。明らかに違反があったのか、違反はなくとも予見可能性があったのか。行為への責任を問うか、結果への責任を問うか。レベルを低く捉えればそれだけ責任を問われる人は増えるでしょうし、高く捉えれば少なくなります。極端な話「罰せられなければ可」ということにもなるでしょう。そして、技術者の責任レベルの現状はまさに後者なのです。

起こってしまった事故について、責任を「最も責任レベルの高かった」一人に押し付けることは、つまりそれ以下のレベルの「責任ある人々」は一切責任を負わないということです。ある事故が起こって、直接的な行為者――例えば点検時に安全確認を怠ったり、うっかり落とすべき電源を落とし忘れたりした人――が責任を問われるのは仕方がありません。しかし、他に「そうなるであろうことが薄々わかっていて黙っていた人」がいたとしたら。例えば、落としていなかった電源が設備の隙間の非常に見えにくいところにあり、その電源の落とし忘れのミスは極めて起こりやすいだろう、と前から気づいていて、しかし特に対処をしていなかった設備の担当者に、責任が全くないと言えるでしょうか。或いは、普段から二重点検をしていて、頻繁に確認の不備が発見されていることから人力では確認に限界があることがわかっていながらも、予算などの都合で電源管理の機械化を先延ばしにしてきた管理者。彼には責任はないのでしょうか。

罰する罰さないという話になったときに、不当に責任レベルを低く取ることは避けなければなりません。下手をすると逆に判断・決定の責任者の不在――つまり「判子が10個並べば責任は霧散」というような無責任体制を許すことになりかねないからです。しかし、各人が自分の倫理として持ち合わせる責任レベルは、常に低く考えておくべきでしょう。事前でも事後でも、自分には予見可能性があったのではないか、人の過失とはいえ、少し配慮して注意してあげれば防げた過失ではなかったかというようなことを、特に技術者はよく考えていなければなりません。各々が皆もう少しずつ責任レベルを低く考えることができたら、それだけで多くの起こり得る事故は起こらないのです。

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