2006年06月27日

●教養・エンターテイメント

アニメを「教養」と呼ぶ人は少なからずいる。しかしそれを認めても、同時にアニメはやはり「エンターテイメント」としての本質を持っている。アニメは、教養でもあり、エンターテイメントでもある。

それならば、哲学もエンターテイメントだ。
私が感じる限りで、秀逸なアニメを見ているときの”楽しさ”と、秀逸な哲学書を読んでいるときの”楽しさ”は、質的に同じである。些細な違いなどいくらでもあげられようが、本質的にはそこまで別種の趣ではない。
だから例えば、GAは『論理哲学論考』(ヴィトゲンシュタイン)よりは面白かったけど、『時間と自由』(ベルクソン)には劣るかなぁ、などと凡そ彼等が聞いたら嘆くであろうようなことも、違和感なく言えたりする。或いは単純な二者択一なら、”楽しさ”が天秤にかけられる。ローゼンメイデンが始まる時間に手にしていた『パンセ』(パスカル)は確かに閉じられることになったのだった。
そしてこのような選択が可能であることが、哲学とアニメの”楽しさ”の同質を示す証拠である。不等号関係で結べる両項は、同単位でなければならない。

「何を馬鹿げたことを。哲学は教養に決まっている。そんなのは、アニメを教養と呼ぶのとは訳が違うんだ」
当然考えられる批判である。まして、私のように片手間どころか通学時間の暇つぶしに哲学を”利用して”いるような不届きものではなく、本気で哲学を究めんとしている方々からすれば、お怒りもごもっともだ。しかし、ちょっと待っていただきたい。
あるものを教養と呼ぶか、エンターテイメントと呼ぶかということには、実は決定的な違いはないのではないだろうか。実際のところ、あることが「役に立つ」、「訳に立たない」といった議論になるとすぐにそのような直線的な解決を嫌って「色々な見方があるから一概には言えない」とホーリスティックな解決に逃げることの多い現代では、ある情報を愉しんで受容しているとき、それを教養と呼ぶかエンターテイメントと呼ぶかは、ほとんど個人に任せられているように思える。要は大した差がないのだ。教養かエンターテイメントかはほぼ個人の主張に過ぎない。

それならどちらでもいいじゃないか。教養と呼びうるものはエンターテイメントと呼びうるし、逆も然り。それなら、これこれは教養だ、これこれはエンターテイメントだと主張することに意味はない。
その通りかもしれない。しかしそれなら逆に、意味がないのだから主張することは無害である。教養ではない、と言わない限り、こう言って差し支えない。

哲学はエンターテイメントだ。

コメント

あえて分類するならば、アニメも哲学もエンターテイメントだと思う。というか、教養と言われているものはほとんどがエンターテイメントだろう。研究生や学者など、それに全てをかけて初めて教養と呼べる。
私達にとってのことを言うと、何かを学ぶ時、私視点(主観)ではただ興味持ったエンターテイメントであり、それを第三者視点(客観)でみた時にはそれを教養と呼ぶだけだろう。

総じて同意。だが、次の一点はどうか?

>研究生や学者など、それに全てをかけて初めて教養と呼べる。

これが正しいとすると、恐らく「一般教養」という単語は存在し得ない。全てをかけなくても”一般に”教養と呼ばれるから一般教養なのでしょう。この定義は少々問題を孕んでいると思われる。

っていうか、こうやって批評に批判に議論に論駁にってやっていくところに面白みがあるのであって、全体的に記事レスポンスが乏しいのは寂しいかもしれないね。うん。

まぁ、俺は今まで教養を学んだつもりは1つもないかな。面白そうだったから手を出しただけでwなので教養と呼ばれるものでも、俺の中では全てエンターテイメントである、というわけさ。

(受け手が精神的にプラスの何かを得ることが大前提として)エンターテイメントはあくまで一次的な情報。映像そのもの、もしくは本そのもの…etc。
一方、他人から受け取った楽しさor情報そのものを自分の言葉で他人に伝えられる形態にしたとき、それは話し手の教養と呼ばれると思う。
アニメの場合で言うと、アニメーションそのものはエンターテイメント。それを見て自分が得たものは教養。
これらの種類の情報は、個々人の趣向によって判断基準が左右される。

一般教養というのは以上の議論で扱われている情報とはまったく異質のもの。言葉or文字で伝える際にあまり劣化しない情報(例えば言葉の意味、数学の定理など)のうち、大多数の人間に知られているor信頼を寄せられた組織に保証されている情報は、(一般かどうかはさて置いて)「教養」としての地位を与えられている。

エンターテイメントであるか否か、教養であるか否かは別問題であって、ある事物が教養かエンターテイメントか?という二者択一はナンセンス。

言葉の意味そのものについてあまり深く考えたことはないけど、こんなニュアンスがあったんじゃないかな、と自分は思う。

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