2006年08月18日

●大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

新潮文庫/219p

僕は疫病が激しい勢いで谷間を驟雨のようにおおいつくし、僕をしっかりととらえ、僕らのまわりに氾濫し、僕らに身動きもとれなくしているのを感じた。僕はすっかりどんづまりにおちこみ、むせび泣きながら暗い夜の道に屈んで汚れた雪をかきあつめるしかなかった。

『時計じかけのオレンジ』と非常によく似た物語構成、世界観ではあるものの、総合評価は二段階上としたい作品。時計じかけ同様、人間の陰の世界、「精神的にグロテスク」な領域をストーリーに乗せて表現したものでありながら、それを支える描写が過剰とも言えるほど豊かである分、飽きさせない魅力がある。
この話に登場する村人たちの偏見は異常なまでに根強い。「僕」たちを人間とも思わぬ(事実「けもの」と蔑んでいる)扱いは、侵入者は総員をもって問答無用で排除する体内の抗体を思わせるほどだ。大戦末期という荒んだ時代であったから、という言い訳がここに成り立つだろうか――かといって、それが人間の本質だと断言するのは余りにペシミスティックに思える。結論は難しい。

「僕」たちと「村人」を隔てる偏見と謬見で固められた巨大な生垣。現代ではこの生垣はふつう、目に見えない形で隠しておくことが美徳とされている。だから仲間意識が薄れて個人主義が台頭することが問題視される一方、『芽むしり仔撃ち』に見られるような激しい排他的敵がい心はあまり見られない。平和な時代だと思う。貼り付けた愛想の裏にどんな悪意が潜んでいようと、容易には気づかないし、気づかれないのだから――ひとつの意味で、平和と言わざるを得ない。

13723p/42195p

コメント

でも、実はあるよね^^生垣。今でも。
もみ合いがない分見えにくいだけで、かえって厄介に思える。
と、珍しく自分の考えらしきものをコメントしたとこで失礼します^^

余談ですが、キリスト教概論のレポートでは、冒頭「私はキリストの奇跡を信じない」と述べました。尊重してくれた教授に感謝しております。

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