2006年10月10日

●シュトルム『みずうみ』

岩波文庫・赤/142p

彼女は顔を赤らめたが、何も答えなかった。挨拶のとき彼がとった手を、彼女はそっと引っこめようとさえした。彼はいぶかしそうに彼女を見た。これまで彼女はこんなことをしたことがなかったからである。今は二人のあいだに何かよそよそしいものがはいり込んできたようだった。

表題になる「みずうみ」他、マルテと彼女の時計、広間にて、林檎の熟するとき、遅咲きの薔薇など全五編の短編を収めた、ドイツの作家テオドール・シュトルムの短編集。弁護士や判事など法務に携わる一方で抒情詩人としても有名だった彼の短編は、描写もストーリーも全体的に穏やかで、時間がゆっくりと進んでいくように感じる。胸の高鳴るような戦慄や興奮はないし、目を見張るような素晴らしい自然描写があるわけでもない。あるのはただ登場人物たる人間と、その彼の感情がゆっくりと移ろうさまであり、生活の一部を詩的に切り出したような印象を受けた。

音楽で言えば、何か他に作業をしていても主旋律に気を取られてしまうことがないような、身体を透き通っていくようなBGM。面白みを見出すのに一歩間違えれば、たちまち退屈な物語になってしまう危うさがある。

18937p/42195p

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