2006年09月09日

●トマス・モア『ユートピア』

岩波文庫・赤/210p

吼える六頭女怪だの、狂乱の半人半鳥女怪だの、人を喰らう人喰巨人だの、こういった途方もない怪物くらい、容易にみつかるものはない。ところがこれに反して、公明正大な法律によって治められている国民、となると、これくらい世にも珍しく、また見つけるのに困難なものはないのである。

公明正大な法律によって治められている国民。この物語の語り手、ラファエロ・ヒスロデイ(ヒスロデイとは饒舌家、おしゃべりの得意な人、の意味)が聞き手であるトマス・モアに語ったその国の名は「ユートピア」であった。ユートピアでは全ての私有財産は排され、全てのものが共有されている。それでいて人々はみな勤勉で生産と鍛錬と学問に励み、その洗練された教育故に犯罪はほとんどない。物資は有り余るほど豊富で、国民がひとりでも飢えに苦しむなどということは考えられないほどである。ユートピアは疑いもなく理想の国家そのものなのだ。

ユートピア(Utopia)は「どこにも無い」という意味のトマス・モアの造語であり、今日では理想郷の意味で使われることもある。ユートピア的である、といえばそれは、理想的すぎて実現不可能な事柄を指す。ユートピアは、この地上のどこかにあるべき国で、しかしどこにも存在し得ない国であった。現実の国家のあり方が限りなくよくなっていくときの、いわば漸近線なのだ。モア自身、ユートピア本文の最後で次のように述べている。

……。それまでは私はまだまだ彼が言ったことをすべてそのまま承認するわけにはゆかない。勿論、彼が世にも珍しい学識の豊かな人であり、世態人情によく通じた人であることは、これは疑う余地はない。それにもかかわらず、結局私としては、たとえユートピア共和国にあるものであっても、これをわれわれの国に移すとなると、ただ望むべくして期待できないものがたくさんあることを、ここにはっきりと告白しておかなければならない。

『ユートピア』のほぼ全てを占めるラファエロ・ヒスロデイによるユートピアの記述に対し、最後の最後、モアは完全に肯定的ではない。モア自身、『ユートピア』という本を借りて述べたこの完全に共和的で、全ての人々が最高の教育と環境によって自由に健全に生活することができる国が現実的には夢物語に過ぎないことを、誰よりもよく理解していたからであろう。それでもそこに諦念の感を一切持ち込まず、やはりこれが理想なのだ、とはっきりと国のあるべき姿を提示し続けるところに、モアの徹底したヒューマニズムを見てとることができる。

ちなみに文体は堅く、読みやすいとはいえない。「物語」である以上岩波・赤に分類されているが、どちらかといえば青テイストの書。

16484p/42195p

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